ていうか、僕は盗撮推進派なんだが!
たとえば知ったかぶりのコスプレ周辺オタク連中だの、マスコミや警察などが、いわゆるスナップ撮影文化を不当に叩きまくったおかげで、とうとう90年以上続いたカメラ雑誌の「アサヒカメラ」が消えた・・・と書いていたのが少し前だけど、それに続いて「月刊カメラマン」が休刊「日本カメラ」が休刊、そこまではまぁフィルム当時からの雑誌だしどちらかといえば本当に芸術系のカメラマンやカメラ趣味の人々のための雑誌だから(自分は痛いけど)最近のスマホ系の連中は痛くも思ってないのかなぁ・・・と思っていたら遂に「フォトテクニックデジタル」まで休刊という事になってしまった。
今出てる号が休刊の一つ前の号なので、次で本当に休刊です。
デジカメの時代の完全な終わりだよね。知人の人の作品も掲載されたりしていたので本当に残念。
だから言ってたじゃん。年寄りのフィルム写真文化やスナップ写真文化だからと叩いていたら、とんでも無い事になると。
結局の所この世の中というのは、短文SNSで論理にもならない暴言を、あたかも文化人になりすましてプロパガンダしている連中(創造性などまるでない)がSNSひいては俗物寄りのマスコミの言論を煽動していくだけで、本当に文化でも芸術でもアートでもそれらを作っている人々の発言というのはほとんど顧みられない。結局それら文化に本当に詳しい人々の意見は無視されて、結果そういう文化とかかわり続けて生きてる人々のための雑誌は休刊廃刊になっていく。
結果、まともに「写真」を文化として共感しあうための雑誌はほとんど店頭から消えてしまった。
こうして考えるとコスプレ系だのテレビニュース系だのの「許可を得ない撮影はすべて盗撮」の暴論が、どれだけカメラ撮影の自由(ひいては個人記録や記憶の自由、巨悪の証拠を残す自由、逆に善の証拠を残す自由)にとって、悪質で有害な論理だったか、というのがひしひし解ると思う。こんな流れを放っておいても、例えば軍や警察を撮影すればすぐ逮捕になる中国や北朝鮮のようになるしかない。日本は暴論連中のせいでその道をひた走りに進んでいる。
で、残っているのはいわゆる商業撮影系の、ただのマーチャンダイズテクニック用のカメラ雑誌ばかりという事になっていく。
薄っぺらい。虚飾だけが勝つ時代だよなと
(※ アサヒカメラの休刊などコロナが原因だという考え方があるかもしれないが、本来広告費が減れば減ページをして定価を下げればいい筈なので、コロナは休刊への後押しをしたに過ぎない。そういう風に言えば楽なんだろうけど、そもそも「写真文化」の本質(生きていく上で出会った自分以外の他者や風景を記録しておきたい、という動機)をマスコミやSNSや一般人や警察が否定し続けてきた、というのが終了の原因だと思う(特に事件解決に関わらない限り撮影を本来拒否できないはずの警官まで最近は撮影拒否しているのは大問題(基本的に警官は、事件現場や被害者の撮影は拒否できるが自身の撮影を拒否してはならない))。
つまるところは、「日本国民自身による差別と分断の肯定」が、カメラ雑誌がのきなみ休刊してしまった原因だ。誰でも(SNSアップや投稿しない限りストーカーしない限り)自由に撮りあっていいよ、って社会なら、カメラ雑誌が終わる事なんて無かったのだから。 11:17)
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