ていうか、京都アニメーション放火殺人犯を僕は尊敬するよ!

 

 京都アニメーションへの放火事件から2年です。遺族の方々や社長スタッフなど80人の方が、社屋跡で追悼式典を行ったそうです。以下各記事。

 「2年過ぎようが、思いは変わらない」 京アニ八田社長が会見、会社再建への決意示す (京都新聞)

 「あなたは誇り」何度でも伝えたい 京アニ事件2年、両親の思い (京都新聞)

 「皆さんを忘れることはない」京アニ事件追悼式、社長の言葉と遺族の祈り (京都新聞)

 

 自分はハルヒの頃やらきすたの頃はそれほどでも無かったが(ハルヒは自分的には全く無理な作品なので)、でも、割と「けいおん!」以降の京アニ作品は比較的好きだと思ってきたし、深夜に放送される多くの京アニ作品は割と見てきたと思う。自分がBD録画込みで全話見たアニメでいうと「けいおん」(1期・2期)、「氷菓」「中2病でも恋がしたい」「たまこまーけっと」「Free」「Free-eternal summer-」「甘城ブリリアントパーク」「響け!ユーフォニアム」「無彩限のファントムワールド」「響けユーフォニアム2」「小林さんちのメイドラゴン」「ヴァイオレットエヴァーガーデン」「Free-Dive to the Future-」「ツルネ-風舞高校弓道部-」までの作品は全話見ている。

 映画も何度か劇場に見に行っている。

 アニメ誌で何度となく京都アニメーションのキャラクターのイラストやポスターを見て、その脇に何度も原画や仕上げの人の名前を見て、現実のあの辺の女の子(自分は高校2年まで大阪枚方という京都のすぐ南の市に在住だった)、自分のクラスメイトだった女の子に性格が似た女の子(自分の中学のクラスにも●反田って女の子がいた)の物語もなんか響くものがあったし、そういうキャラクターたちがみずみずしく書かれているのを見て、ああ、京都のようなああいう地域にも(マッドハウス以外にも)アニメスタジオが頑張ってるのはいい事だな、とは思っていた。

 自分の住んでた富山県でもアニメスタジオが頑張ってる時代だしなぁ、と。そういう所で頑張ってる会社もあるのはいい事だよなと。

 

 それでも事件は起きた。もっとひどい連中は僕から見れば業界には(作り手というかそのブレーンだのPDだの編集者だの広報だのステマのレベルで)山程いるし、何も彼らを選ばなくてもと思っていても、最悪の事件は起きて、自分がいっとき住んでいた地域、そこにも割りと多くのアニメファンがいて、その子達の支えにもなっていただろう大きくて小さなアニメスタジオの人々の人命が失われてしまった。

 自分にとっての一時の故郷にもいるだろう、アニメファンたちの希望が一瞬にして、と思って、思って思って。色々思って、思いながら劇場版のヴァイオレットエヴァーガーデン2作品を見に行って、メイドラゴンSやFree3の再放送を見て、で。

 

 事件を風化させてはならない、とは自分も思う。けれども、例えば自分も、コミケや5ちゃんの悪質な猟奇汚物18禁系オタクたちとその仲間のナチス軍装オタクたちによって、なりすましアカウントなどの被害を受けて自分のFacebookアカウントを消されてしまったし、最近では偽防止用に作ったYoutubeアカウントまで悪質なYoutube運営とGoogle運営に消されてしまった。本当の追悼を語る人間や問題の深奥を見抜いている側の発言はどんどん消されてしまう。

 Facebookでは自分も4年前後くらい努力したんだろうか?毎日書いた文章が何の悪意か知らないけれど、悪質な連中の邪悪な悪意によって一気に消される。僕は一日3~4時間くらいFacebookの文章UPや画像UPや文章草稿に時間をかけていたから、時給でいえば1時間1000円として、一日4000円、その365日の4倍として、普通の仕事なら(まぁ僕は高IQだからもっとだが)、約600万円近くもらえていて当然の努力の分量のデータをあっさりネットから消された事になる。そして悪質な削除依頼を出した悪質な下郎は、その重さを全く理解していない。悪質なFacebookスタッフ(どう悪質なのかはここでも何度も説明したが)もその重さについて全く解っていない、重みを理解しない、そしてヘラヘラニヤニヤ笑い続ける下衆たち。

 で、その「他人の心や努力をなんとも思わない人種」という意味では、ああいう悪質オタクも、FacebookやYoutubeやGoogleなどの各SNSブログの悪質運営も、全く同じだという事を断言できる。

 京都アニメーション放火犯も、コミケの悪質オタク5ちゃんの悪質オタクたちも、FacebookやYoutubeやGoogleなどの悪質運営スタッフたちも、その性根の根本は全く同じであると断言できる。

 

 で、その、他人の努力を消し去る事奪い去る事に何の躊躇もない連中、というか、そういう精神。相手より自分が力を持っていれば(力・・・権力でも暴力でも。武力でも軍事力でも)、相手の人命や人権や尊厳や財物をどうとでもする事ができるというおごりたかぶり・・・そのものが敵なのだ、という事。・・・この事件については、そういう理解の仕方をしなければならないのだと思う。

 もちろん、自分は犯人の言う「作品のネタの盗用」について、事実がどうだったのかは調べられなくてはならないと思う。自分も業界による悪質行為の被害には今まで無数にあってきたので。

 だけれど、それがあれだけの人命を奪う理由になるのかといえば、それは違うし、やり方が違うだろうと思う。

 ただ、仮に犯人がそういう主張をネットなどで漏らした時に、「そういうこともあるのかもしれない(だが、まだこれからがあるじゃないか)もしくは、「君の作品にもいい所があるよ」という人がどれだけかいれば、こんな放火大量殺人なんてものは起きなかったのかもしれない。(と僕が書いた所で、犯人だって僕がネットで集団ネットリンチを受けていれば、それに加担したかもしれないし、そこは解らないのだ、人間ってものは。・・・本当に・・・)

 問題はインターネットというものが、そういう「当然いるに決まっている、業界なり同人なりの既得権益の濫用悪用に対して起こっている人々(プロ志望者でもアニメファンでも)」の、コミュニケーションや意思疎通を、どんどん奪っていっている事だ。たとえばステマ業界人やステマ編集者などがインターラプトして、被害者の信用を失わせて黙らせるために集団ネットリンチを加えるなどだ。僕もその被害をこの二十年近く連綿と受けてきたので、そういう悪質性が業界にもその走狗のオタク同人界や5ちゃんなど掲示板内にも厳然と存在し続けている事は、骨髄に染みるほど解っている。

 業界被害者たちがまともにコミュニケーションを取る事ができない。なんだかんだいって結局業界が金で圧力を加える。ステマ業界人の走狗が山といる。掲示板でもSNSでも。

 

 つまり、たとえば、京アニ自体が仮に「話せば解る人々」だったとしても(くどいが本当に悪質な連中は業界には山といる。存在する事は断言する)、「話しても解らない」という風に思わせてしまうような、業界全体の閉鎖性、というもの(京都アニメーションだけじゃなくアニメコミックゲーム業界全体の閉鎖性)が、この事件を必然的に起こさせてしまったのではないか、彼でなくても  いずれこういう事件は起こしたのではないか、という考え方が、自分の中には厳然とある。

 それはつまり業界そのものの閉鎖体質の問題で、閉鎖であるがゆえにアンフェアが延々とまかりとおってきたような、そういう意味での問題だ。

 でもそういう中で例えばネタ流用でもオマージュでも、許されるケースと許されないケースがあるわけで、許されうるケースにまで過剰反応してしまうのはまずいだろう、と思う。そこの問題がある。

(つづく)
(※つづき)
・・・で、たとえば、ここのブログに以前ここの記事にUPした、自分の過去の個人誌の、勝手に書いた「仮面ライダーBLACK最終回後編」についてだけど、これを今現在のアニメ作品群を見ている人は、「あ「ゾンサガリベンジ」のED曲のフランシュシュのシーンにそっくりだ」と気付いて当然なわけで。
 実はこの最終回前後編のファン個人誌は、小学館ビッグコミック(その頃石森プロの人々が「HOTEL」の続きを連載していた)経由で石森プロに渡っているほか、テレビ朝日の某「Nステ」にも渡っている。当時自分がNステに意見投稿していた頃こういうファン個人誌も出している、って事で。で、たぶんこれってテレビ朝日の子供番組制作部署の東映系プロデューサーにも渡っているんだと思う。で、ゾンサガの監督の人は、元東映でプリキュアやってたスタッフの方なので、なんとなくそういうイメージになったんではないかなと思う。
 というか、文章どおり「改造人間になった悲しみを乗り越え」ってのを「ゾンビィになった悲しみを乗り越え」って考えるなら、確かにフランシュシュって昭和作品でいうサイボーグや改造人間みたいな死なないキャラみたいなものだし、通じるところもあるだろうし・・・「リベンジ」最終話ラストの、いきなり円盤が来て地表に光線あびせてエンド、っていうのも、上の僕の脚本の「フランス、ムルロワ環礁にて核実験・・・」に近いエンディングってのはあるんだよね。
 (これは・・・この自作脚本ラストの上ページ直前で、創世王に吸収されていた異星人少年の元に一体化した二つのキングストーン=1コになった結晶を、光太郎と信彦で船の上からサンゴの海に投じる、というシーンがあるんだが・・・つまり、そういう人間性あるものなら守りたいと思う美しいサンゴの海であっても、人類は何度も無数に消滅させるだけの核兵器を持っていて、しかもそれを使用するもしないも人間の決める事でしかない、光太郎も信彦もどうにもできないかもしれない、という絶望を書いていました。
 たぶんゾンサガリベンジがラストにあのシーンを持って来たのも似たようなもので、つまりゾンサガってのは基本的にフランシュシュたちの小さな希望や夢や小さな幸せが、なんとかかなうか、大きく育てられるか、って物語で、つまり彼女らとその周囲の人々の人間性の物語なんだけど、その人間性を理解しないものも上にいる、って事だと思うんだよね。)
 ・・・つまり、そういう手法でたぶんゾンサガリベンジの最終回は作られている。でも、その作りが、僕に好意的なのかどうか、という事については、スタッフは何も僕には語らないので解らないですよね?
 自分はゾンビランドサガ1・2シリーズについて、好意的感想しか書いていないから、スタッフに憎まれる筋合いとかは全く無いわけだけど。だからこういうことがあっても悪意じゃないと自然に思うけれど、でもこれが僕じゃない、全く別人がこういう事になった時にどう反応するかは解らないわけです。
 で、自分は別にこれはライダーBLACKを使って80年代のライダーGP脚本コンテスト用に書いてた当時の作品を、なんとか完結させた、ってそういう個人誌だったんですが(88年にもサンデー編集部に前編は送ってた。その後編)。で、そういうオマージュ的なものというかリスペクトというか・・・でもそれって、「作品を作ることの出来る側」もしくは「お互いの作品を知ってる側」にしかコミュニケーションが成立しないんですよ。
 お互いが自分の作品を知っている、という認識そのものがないと、そもそもお互いがリスペクトしあっている、という認識にすら至らないでしょ?でも業界には「自然にそういう認識になるだろう」と「勝手に思い込んでいる」人々がやたらと多い上に、しかもクリエイター同士はそういうリスペクトに至っていても、互いをへだてる編集者やPDなど制作(作品製作ではなく周辺民の「制作」)がへだてた上に勝手に無知な赤の他人を動かして、個人側にめちゃくちゃな事をやらかしたり(●川とかがよくやる)、ステマやってる連中が2ちゃん5ちゃんのゴロつきオタクを操って集団ネットリンチを加えたり、平然とするわけで、つまり理解しあえる作り手同士の誤解を倍加させるような事を、業界だのオタク界だの同人界ってのは、平然としてきたわけで。
 つまり、そこなんですよね。そこが本当に本当に問題で。だから表の世界じゃなくて美少女ゲームなど18禁に行く人々も多いじゃないですか。才能ある人達とか特に。でもそこに行っても似たような事は普通に起きるわけで。(つづく 22:00)
 
 (※つづき)
 例えば「仮面ライダー」は元々石ノ森章太郎氏の作品で、氏が手がけたライダーは事実上映画の「J」が最後なので、それ以降のいわゆる平成ライダーに誰が関わっていても石ノ森氏があずかり知らぬ事と考えるのが本来の考え方で・・・いや、知っているかもしれないけれどそれはあくまで今のスタッフらやファンたちの希望的観測でしか無い。だから石ノ森氏なら絶対駄目だという事も平成ライダーの中には無数にあるかもしれないし、その意味ではファンが俺ライダーを作るのも版権側が新ライダーを作るのも、実は全く大差無い。版権側が俺たちこそが本当に石森氏のライダーを継いでいると考えるのは、僕は客観的に傲慢だと思う。逆もそうなんだけど、要するにそこには「出来の良さとか納得できるかどうか」しか無い。これってシンウルトラでも何でも原典スタッフの没後のオマージュ作品は全部そうなんだけど。
 つまり、例えば僕の最近の上のケース(個人誌)の場合、例えば物語は他人のものもしくは共同作業、なのだろうから、いわば僕の域というのは作劇アイデアとか演出論とか新規デザインとか、そういう部分、という事だったりする。
 で、それが俺ライダーだとしても、ライダーという他人のフォーマットの中に入っている表現だから、それが参考にされようが引用されようが、という風に自分もある程度は考える(自分も変奏はするけれど。ちなみに上の「創世王の中に宇宙人の少年がいる」という内容については88年以降、この脚本を送った相手への手紙部分に書いていた。何箇所かに送っている(IGなど)のでどこに書いたかは忘れたが)。
 ・・・で、「俺●●」で、自分が追加した「俺」の部分は、自分自身の追加分だから自分の後のオリジナル作品でアイデアを再利用するとかもできるわけで。
 ともあれ、まぁ別ケースのように参考にされ引用にされ、仮に悪意まで向けられたらたまんないわけだが・・・
 でも、これが例えば、自分のオリジナル作品なりオリジナル企画なりオリジナルデザイン、特に誰かに提出したようなものや、企画提出の結果待ちみたいな作品を、いきなりネタ流用されたりした場合には、それは当然何考えてるんだよ、と、誰だって怒るでしょ?
 要はそういう部分の倫理意識が、こういう場合の怒る怒らないやクレームを入れる入れないの焦点になると思う。あとはその頻度とかかなぁ・・・あまりに多すぎたら辛いよね、当然。
 でもなんだかんだと書いてきたけれど、京アニのケースの場合は僕のケースとはたぶん異なるわけで。で、最近のオリジナル系のコンテストというのは、「応募作品の版権著作権はすべてコンテスト主催側に帰属します」のようなムチャクチャな事は言わないのが普通なので(このルールは大昔使われていた頃から異常なので念の為。現在では応募作品が不採用だった場合は版権著作権は移動しない事になっている)、つまり「不採用」とか「受賞できず」の場合は、著作権移動はない、というのが最近では普通なわけです。ただ、たとえばその一単語の利用であっても、作品根幹に関わっているなら、その作品が他に再応募できなくなる可能性は高いわけで。
 まぁ・・・めちゃくちゃな犯人なので、怒りの原因がどこにあってもめちゃくちゃには違いないですが・・・犯人は断じてやってはならない事をしたと思っているけれど、そこは絶対に裁判焦点にはなります。ただ、裁判焦点になっても判決には全く影響が無いとは思います。死刑以外はありえません。でも経緯を知りたいと思っているのは、僕がどんな意見を言おうが、日本のアニメファン全てがそう思っているわけで。
 しかし、業界もその周囲も、閉鎖性と業界のやる事なら全て正義だと思い込む妄信(これは京アニ云々関係ないです)については徹底的に自省をしなければならないとは思います。今でも業界は話にならないと思う。(まぁそれでも、某社某アニメのEDダンスがYoutubeの踊ってみた動画から振り付けを無断引用していたのが発覚した際に、謝罪やダンサーさんのスタッフテロップ入りがあったり、そういう風に業界も変化はしてきていて、そこは遅々とはいえ進歩だなと思って見ています。)
 そういう所で、つまり京都アニメーションは極力フェアーにやってきた、とは思っているけれど、つまり駄目な業界全体がフェアーになる事が(「そういう事にする」「落とし所を決める」「かたにはめる」のでは無く。)・・・・・一番なくなられた京都アニメーションスタッフの方々に対して顔向けできる事なのではないかと、僕個人は思います。
 まぁ僕は業界人ではなく、個人創作作家ですが。 (7/19 4:30~46 11:54詳細追加)
 ※※ あと、業界内のいわゆるクリエイター陣(脚本演出やキャラデザインなど決定権のある人々)に、たとえば外の作家とのコミュニケーションを取るのが「下手」で、いわば「拳で語り合う」じゃないけど、作品でしか語り合えない(語り合う気がない)という人々が多い、ってのもこういう事が増える原因だと思う。作品を作るってのは自分でも割とこもった状態でやる事が多いけど、つまり集中して作業をするというのと、自閉的(→閉鎖的)になるってのは、紙一重なんだよね。で、僕のような何から何まで自分で決めるタイプの作家はともかく・・・いわゆる業界のプロクリエイターは作品を「他者からの依頼や関わり」もしくは「仕事代金授受」で作る以外はほぼしないので、そういう人々は余計に「仕事で関わらない赤の他人とのコミュニケーションが不得手」になっていく。しかもプロってだけで妙に根拠なくプライドが増幅している人々が多いし。そこも他人同士の誤解が増幅する原因なんじゃないかと思います。(10:56)
 

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