ていうか、僕は無職だから朝ドラ観てるわけだが!
自然に感動できる「おかえりモネ」
ずっと前というか80年代からほぼ全部の朝ドラ(NHK連続テレビ小説)を毎話みてきた自分的には、この所時々、作品を見ても自然に感動できないというか、自然体で涙できない朝ドラが多くて、違うんだよなぁ、とか思っていたんだけど。昔の朝ドラって自然に笑って泣ける話が多かったんだよね。2000年代だと「てるてる家族」とか「てっぱん」とか「瞳」とかそういう話だった気がするし。「おかえりモネ」の序盤を過ぎたあたりからは、その、すごく基本的な、見ていて自然体で涙できて感動できる作品になっていて、そこが本当にいいと思う。なんかやっとちゃんとした朝ドラを見れてるって気がする。
「おかえりモネ」の百音と先生の淡い恋の進行は本当に見ていてほのぼのしたりいろいろと応援したい気分になってしまったりなんだけど、応援したくなるって意味では全キャラクターに対して言えることだし、それは視聴者みんながそうみたいで(^^);
・・・で、東日本大震災の被災地を舞台にしていても、都内の放送局や元銭湯改装の下宿を舞台にしていても、それぞれのキャラクターが自然体で生きているように感じられるのが、スムーズに物語やテーマを感じられる理由の一つなんじゃないかなと思う。
あと、百音は最初は自分が誰かの役に立ちたい、というそういうキャラクターで、でもその何かに踏み出していくやり方が分からないという感じだったんだけど、なんというか・・・彼女っていうのは、自分で主体的に(例えばあなたの町の天気予報士のようなアイデアに踏み込んでいく)何かに踏み出していくキャラクターであると同時に、自分の周囲の人達に愛される分それに本当に感謝していて、なんというか「人の思っている事をちゃんと聞く」子なんだな、という、そこがすごく大きいと思う。
それは、通俗的な、相手にハイハイ言う聞き方とは全然違っていて ちゃんと相手の思う事を聞いている 。それだけでも多少の方向性にファジーさが生まれるし、救われる人達がでてくる、という。
それは百音の家族のお父さんお母さんや妹やおじいさんだけでなく元クラスメイトのみんなもそうだし、林業や山の人々に対してもだし、下宿の人々もそうだし、テレビ局の天気予報の同僚の人々もだし。その「周囲の人が思う事を聞いている」だけでも全然その人達が救われていくし、何かトラブルや膠着状況があれば事態の打開の糸口を見つける事もできる。
そういう「モネ」の内容には、たとえば「SDG’s」(国連の提唱している世界を持続可能にする上での目標)がらみの事も含まれたりしているらしいんだけど、でもそもそもそれも「とりあえず意見として覚えておく」だけでも、全くより良い未来が来るかもしれない、ってそういうテーマではあるわけじゃないですか。いわばSDG'sのやってる事も一種の長期的な「予報推測」(自然や気象も含めた)から来ているんだと思うし。
ただ、それをあまりに大々的に語るのは違うからこういう描き方になってるんだろうな、と思います。・・・百音の周囲の景色のように、ものすごく私小説的な私的な舞台や日本のそこかしこの舞台舞台のフィールドで、とても身近な日常の、その空を見上げれば気配が感じられるような。人々の日常風景の中に気配を感じられるような、そういう明るい未来、それを感じてちゃんとそっちに向かえるように、っていう、そこが「おかえりモネ」の表現しているテーマで、一番自分がいいなと思っている所だったりします (^^)
コメント
コメントを投稿