ていうか、朝ドラを毎日観てる無職の僕なんだが!
「おかえりモネ」の明るい最終回(^▽^)
NHK朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」最終回、見ました(^▽^)
明るい未来に向かうような最終回で良かったと思ってます。
なんていうか、書くの遅れましたが、しばらく万感にひたっていたかったというか。最終回の感想を書くと本当にロスになってしまいそうで、簡単に書けなかったというか。
この作品は東日本大震災からの10年間や今現在までを描くドラマだったんだけど、それ以上に百音やその周囲の人たちのひたむきさを描くドラマだったと思います。みんな頑張ったよね・・・菅波先生も頑張った!!(^▽^)
というか、自分の場合本名が「こうじ」で、百音の父親の耕治さんと同じ名前なので(漢字は違うが。ボクの場合「浩司」で海とか(宇宙とか)の広さって意味で付けたそうなのでどちらかというと海系の漢字なんだが)なんていうか感情移入してしまって。自分の場合結婚もしていないし子供もいないけど(なのにほぼ同世代だが^^;)、やっぱりその最終回の「これで終わりではないだろ」っていうのは、本当に共感するというか・・・。
なんていうか続編とかそういうのとかじゃなくて、つまり、こういうドラマのこういう人々の物語を見て、それはそれとして感動して良かった良かったはいいんだけど、でも、そこからドラマを離れて東北の人々や今闘病している人たちの、そのそれぞれの一人一人に、同じように目を向けるべきだ、というような、それに近いんだよね。きっと。
その意味で耕治のスタンスって、やっぱり仕事が仕事だったからか、多くの人たちの人生を見続けてきた視点なんだけど(それでも及川家には特別の感情を持ってはいるが)、でもそこから家族のために個としての今後の生き方に向かっていく、みたいな、そこが良い選択をしたなぁという感じだったよね。今後成功するしないはまぁ置いておいて(今はまさに俺が努力しなきゃならない立場だという)。そしてちゃんとお母さんも塾を始めたみたいだし・・・。そういう風にちゃんと両親側(+おじいさん側・・・まさかサヤカさんが引っ張るとは思わなかったが)のドラマも将来につながっていってくれて良かった。
で、この話って東北の被災地の人々のスタンスに立っているドラマだからあまり目立たないけれど、登場してくる人々が仮にネットと深い関係を持っていたなら、本当に今時の誹謗中傷をされてしまうようなそういう立場になってしまってる登場人物も結構いたような気がしていて。たとえば東北産の海産物とか関係で働いてる人々とか、ずっと中傷を受けているわけだし。ドラマでは善良な視点にあえて寄る事で、語られてない被災地への差別は本当に根深くて。逆にこの作品を当初見るのが辛かった人って、そのテーマが描かれはじめた頃から目を背けたくなってたんじゃないかなと。
でもこのドラマの人たちってあまりネットと深く関わっていないというか、東京に行っても東京と距離を置いていたり、流行に引っ張られそうになってもやっぱり自分の足元に戻ったり(「それが偉いってわけではない」けれど)、だからこそ逆に差別的なネットバッシングのようなものは受けなかったのかもしれないし・・・なんていうか彼らはボーダーレスになっていったんだけど、でもこのドラマの枠外の現実の世界も(東京も、ネットも)差別や中傷や傷つけあうボーダーばかりなんじゃないか、っていう。その世の中にはびこる「差別」を、少しでも現実からぬぐう努力を、たぶんドラマスタッフの全階層がしていたんじゃないか・・・とか思ってきたわけで。
で、そのボーダーというのは、主人公と友人たちとの間どころか、妹との関係にすらあったわけで・・・。そのボーダー自体が、結局亮やみーちゃんにまで百音がよそに扱われる理由になったりしていたんだけど、そこからやっと「おかえり」と言われるという(いや、かなりこういう書き方をするとなんか本当百音もかわいそうなんだが。あの日に気仙沼にいなかっただけなのに。つまりはそれも逆の意味ではぶりなんだが)、ちゃんと心が里帰りできた、というような、そういう物語だったんだなと。
なんていうかヒロインの清原果耶さんは同じ脚本家さんの「透明なゆりかご」から続いてこのドラマの主役を演じていたわけなんだけど(みーちゃんもそうですが)、だからかな「生命」の大切さ、ひいては周囲の人々それぞれの大切さがちゃんと意識されているドラマなんだなと思って見ていました。
なんていうか、割と主人公たち、特に百音と菅波先生の、それぞれの経験値の関係性が、割とちゃんと相互的に描かれているというか、ただ恋愛してるというのではなくて、成長するに従って、お互いの人生経験が、相手を理解する上であとから重要にったり、不可分になっていく、という、そういう感じだったと思います。たとえば、前にも書いた「私たちは預言者ではない、祈る事しかできない」と朝岡氏が百音に言った言葉なんだけど、だからって「無力」というわけではない。それは結局は医療現場でずっと治療を続けてきた菅波先生も同じ事で、いや他のドラマの登場人物も同じ事で。で、たぶんそういう成長が、百音にとって先生をより理解する事につながってるようなそういう関係がずっと描かれてたように思います。
・・・「おかえりモネ」が、天候を報道する気象予報士の話であり、「何をできるかわからないけれど、人の役に立つ事をしたい」と願っていた百音と、人の命の治療を続ける先生とか・・・で、二人が再会するのは、今よりちょっと少し先の未来の、未来予報だったりして。 なんていうか、天を報じるという点で、ドラマ中で特に語られてたかどうだかだけど、天使 というようなモチーフは、なにかあったんじゃないかな、と思いながら見ていました。
で、百音のいう「場所も時間も関係ないですから」というような・・・そういうボーダーレスな気持ちに向かっていった。それがすごくさわやかで素敵で。
素直によかったなぁ・・・と思えたよね(^▽^);
(※ それにしても、ウイルス禍で2年半も会えなかったなんて!!現実のボクらのいる世界より若干おかえりモネの世界はハードなのかもしれない。・・・いや、現実もハードか、いまだに入院している患者さんと家族の面会はろくにできない状況だし・・・)
なんていうか、そういう段々とボーダーのなくなっていく、場所も時間も関係なくなっていく世界をずっと見られたような、そんなさわやかな半年間だったです。
(つづく。)
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