ていうか、成田亨の展示会には行かなかったんだが!
「成田亨と鬼」展終了
「成田亨と鬼」展、終了したようです。先日開催場所に電話をかけた際には、大勢の方々が展覧会を見にきたと聞きました。良かったと思います。
なかなか鬼滅などの流行る時代では鬼というのは割と一義的な悪だとされている所があるんだけど、先に書いた通り、鬼神とか鬼才などの言葉もある。なまはげが悪とは言えなかったり、そういう日本の地域や民話や教訓話とも関わりが深いんだよね。成田氏は世界のモンスター研究も日本のモンスター研究もやっていたわけだけれど。多分日本中の「鬼」の「過去」を調べたり、その個々を絵画にしてみようとした芸術家は成田氏以外そんなに多くは無いんじゃないだろうか。漫画家では永井豪氏がいるけれど、永井氏とはまた少しベクトルが違う。(鬼の過去を表現する、というのは「鬼滅」がやってる事なんだけど、「鬼」の責任が無惨のみにあるとしている物語は、多分本来の鬼の姿とは違うんですよね。誰かに責任をまる負わせするというのは多分鬼を語る上での教訓話としても違うなと思います。まぁ「鬼滅」が面白いってのは確かだが)
ボク的に「鬼」というのはけして自分自身の精神に近いモチーフというわけでは無いんですが・・・・ただ、日本人を多方向から見る上で「人間にはこういう一面もある」と教えてくれるモチーフではあると思います。
あと、成田氏の鬼モニュメントの原型を手伝う過程で、成田氏の原型造型過程やCMセット作りを一緒に手伝う事で彫刻作りの段取りや人体造型の段取りや何より向き合う姿勢みたいなのは1から充分教わったと思っているので(そこは実際に粘土造型などを直で時々刻々手伝ってたボクらにしか判らない事が多いが)、その点で鬼というのを近しい存在だと思っているのは確かです。あの彫刻は、立体表現の上でのものすごく色んなものが詰まってるから。鬼の絵もそうだよね。ものすごく色んな種類の、絵の表現の基礎と応用が詰まっている。
やっぱり成田氏の作った酒呑童子というのは「キャラクター」だと思うんですよね。多くは書かないけど、成田氏が大江山の鬼を作るまでは、鬼というのは裸で虎の皮のパンツをはいているというテンプレ的な外見しかみんなの頭には無かった。着流し(もしくは女性の和服を着た姿から化ける)姿の鬼というのはこういう立体キャラクターにはなっていなかったと思うので。
(まぁ女性の夜叉とかならあったと思うけど・・・男の鬼で着流しというバサラ者的姿はあまりないと思う)
そして、成田氏の大江山の酒呑童子彫刻で、日本人の鬼像とか鬼観はかなり変わったのではないかと思っています。やっぱりそこは決定的だったと思います。
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