ていうか、アニメに投資する気なんかサラサラ無いんだが!
アニメ「ブルーピリオド」完走。
アニメイズム枠の「ブルーピリオド」は1話から毎回見ていて、とりあえず完走しました。いいアニメだったと思う。
自分も絵を描き続けてはいるけれど、美大に行くほどアカデミズムな奴ではなく、それでも一応アニメコミック等業界人よりは色んな手法にあれこれ手を染めていて、下手すると美大で専門単科しか取って無い人よりは写真や立体造型も含めてあれこれ手を染めているし、いまだにNHKの日曜美術館などなど延々ブルーレイで録画して見続けているような感じなので(ウイルス禍で最近美術展には行っていないが)
自分としては八虎に共感する所も多かったけど、他の美大目指していた登場人物らに共感する点もあり・・・ただ、やっぱり、自分はアカデミズムに対しては基本的に否定的なのと、「これだけのことができれば東京藝大に受かるよ」というそれを提示された、それが果たして正解なのかなぁ・・・(??) というのが、見ていて疑問(かなり疑問)だった所だけど。・・・・でも、それ以外は割と面白く見れたかな。
なんていうか美術方面を進路に選んだ人たちにとって(たとえばヌード描いている側としても)、今は本当に差別や中傷揶揄の視線がある時代だと思うので、それが多少なりと払拭されるようなアニメ作品になっていたのは良かったと思います。(←※ ただ、最近ヤフオクに多い、描いている人がアダルト系扇情を狙っているような絵だったり、どこかのグラビアの模写でしかないアダルト扇情絵が多いと、やっぱり安く見られてしまう、ってのはあると思う。ヤフオクでも、ヌード画を数千円で売ってる人とか多いんだが、やっぱり彼らの模写元の写真が自身ではない他人の撮ったグラビアだったりするからで。(・・・ボクの場合は自分自身でヌードモデルさんをデッサンした絵や自分でモデルさんを撮影した写真からしかヌード絵は描かないと現状決めてるので、やっぱり●万円未満とかにはできない。)
あと、原作からアニメにされた所で、ものすごくふくらまされている、そのスタッフのふくらませっぷりが半端なかった(笑)。まず色で、コミックは基本白黒モノトーンなので、それがアニメというカラーになっていてちゃんと美大受験生たちを描いたアニメになっていたのは良かった。カラーにするという事に特にものすごい労力のかかった作品なんじゃないかと思うので。
・・・原作はストーリーに良い所と悪い所とムラがある感じなので(ボクは龍二が「裸になってどう見られてもいいと思えない限りは死んじゃだめだ」なんていう女子を好きだと思う気持ちは全く共感できない(笑)・・・割と別の女子なのではと思うが)。削り方とふくらませ方が優れていたなぁという印象はほんと強い。あと、たとえば八虎がユカ(龍二)と、駅のホームからラブホを見るシーンだけど(あそこホラー声入れるトコですかw →アニメ)、あれってコミックでは簡略画のラブホがあるだけなので、あの情景はほぼスタッフの創作なんだよね。そういうところがすごく。どの学園アニメでも同じだとは思うけど特に。
そういう、アニメにする上での補間量がこのアニメはものすごく大量だったので、コミック(は元々注目作で人気あったが)の力だけでこうなった、というのでは無く、ちゃんとアニメ化された意味があったんだろうなと思う。山田氏の番組後解説も良かったし。
なんていうか見てて楽しいアニメだった。それに尽きる ^^
2期・・・あるだろうなぁ。でも割とアート系とか芸術系スポーツとか音楽アニメって2期が作られる事が少ない時があって。「ランウェイで笑って」とか「覆面系ノイズ」は原作が完結してるので2期作って欲しいんだけどね。。「ボールルームへようこそ」とかは原作がたまってないので相当先になって仕方ないけど。実は過去作でいうと「アリエネ」とかもアニメ化して欲しかったんだけど(笑)
(※12/19追記:
上の頭の方で『 これだけのことができれば東京藝大に受かるよ」というそれを提示された、それが果たして正解なのかなぁ・・・(??) というのが、見ていて疑問(かなり疑問)だった 』と書いたけれども、ちょっとそこについて描くと、つまり2次試験のヌードモデル課題について、予備校の先生が「ありのまま」をテーマにするのは平凡だと言っていたけれど、その「ありのまま」が八虎の絵で表現できているのか、が判らないって事なんだよね。ともかくこういう課題で重要なのは、技法もあるけど、モデルさんをちゃんと描けているかどうか?っていうのが本当に大きいわけで、でもそこにアニメでは言及されてないでしょ?まず一番重要なのは、モデルさんの精神性がかすかにでも伝わってくるレベルにとりあえず描けているか???って事が重要なんだよね。もっというとモデルに似てるかどうかって事。でもそこがアニメで語られてない。たとえばアニメキャラ絵で描かれているモデル女性と、描かれた油絵の女性との個性は違ってしまっているわけで(肌の色自体の表現が双方でまるで違うし、顔の造作とかも違う)・・・つまり油絵が八虎のありのままなのか、モデルの人のありのままか、って事なんだけど、そこがすごく見ている子達(たとえば美大志望するような)に判りづらくなってしまったのが、どうかなぁって気がした。どちらかというと、あの絵はゴーギャン的ありのままというか社会主義絵画的なありのままみたいなイメージがあるんだが(※ 素朴 とする軸よりちょっと針が振れ過ぎているかもしれないという意)。八虎がセリフで言うほど透明感が出ていないし。まぁ油画そのものをマチエールも含めてテレビ画面上で表現するのは不可能か・・・絵については主人公当人もあとで反省してたが。
とにかく、美大受験生には、「そういう課題が出て、絵を自分色に染めたいと思っても、モデルやその精神性は尊重できるだけのデッサン力はとりあえず磨いておかなきゃ駄目だよ」と言いたい。つまり持ってる技法量もだけど、こういう課題の場合、モデルやその精神性を尊重できているか?っていう部分はかなり重要なキーになると思う。つまり試験官が受験生のどこを評価するかわからないでしょう?(たぶん結局八虎が受かったんなら、その「誠実さ」というか、将来性が評価されてるんだよね)
まぁ自分は美大行かなかったしなぁ。自分は小中高とデッサン力では学級で上位だったと思うけれども、それでも2年成田先生の美術教室でデッサン習いたくなったし。やりすぎるって事はないので。
(ちなみに大阪桃高時代とかの漫研の部長や転校してからの都内高校での漫研と美術部かけもちしてた女子の先輩とかは、美大に進んだと思うけど、ストーリー云々じゃない「絵」はやっぱり元々上手かったんじゃないかと思う。) つづく 12/19 12:51~59)
(※ つまり八虎が受かったのは、八虎自身が大学で教えるアカデミズム対応(準備が)できていると見なされたからであって、対象の女性をちゃんと見れているからとは限らない、って事でもある。現実にそんな合格があるのかどうか判らない。なので、ブルーピリオドで語られてる事ができれば東京藝大に受かると思い込むのはどうなのか?って思う、って事だ。
というか元々ブルーピリオドの作者はBL系の人でもあるので同性愛系作品的な描写は八虎とユカ(到ってないが)もそうなんだけど、実は森先輩もそうで。たとえば、森先輩の大学に絵を見に行くシーンがあって、そこに手をあわせた「祈り」の絵のシーンがあるけれども、あの手を合わせたフォルムがつぼみのようにも見え、また、女性自身のように見える所が暗喩的な所で(たとえばいわゆるペーズリー柄もそういう暗喩的に使われる時があり・・・いまではそんなの誰も意識しないけれど、ペーズリー柄は昔はあまり男性は着なかった。女性性の為に多用される柄なので)。
そもそも森先輩が高校時代に100号の絵で油画として女性を描いていてそれに八虎が魅された、というシーンもあるけれど。・・・つまり森先輩がテーマにしているのはなんだかんだで女性の祈り(まだ成長していない自分を少女やつぼみにたとえつつ、女性たちサイドに立った祈り(ともすると女性同性愛的な))であって、そういう暗喩的意味合いについては八虎は当時まだ高校生なので気がついていない。野虎は森先輩の暗喩には気がつかないで祈りの絵だと言っている(間違ってない)が、でも美しいと感じて魅了されている、という事だったりする。
つまり森先輩の内面を八虎が理解できてるとは限らないんだけど、その絵の精神的美しさを直観はしている。(逆に男性の内面を森先輩は解らないだろうとも思うし。両方理解できているのはユカポジションなので)
↑ そう考えるとラストシーンは・・受験時に描いたヌード画の複製再現を高校の美術室内でしているところに森先輩が戻ってきて「綺麗ですね」っていうのは、つまり、受験と関係なく肩の力が抜けた再現絵に対して、ちゃんと八虎なりモデルさんなりの精神が出ていて、それが女子の森先輩にも届いたからきれいな絵だ、と言ったって事でもあるので。
(※※※ ↑↑ここの文章はアニメ本編を見てた人だけ対象にして書いているので、本編見てなきゃ森先輩の大学学祭展示画ってどんな絵なんだと思うかもしれないけど、いわゆる仏教的日本画に近い絵で。で、テーマについて八虎は「祈りの絵」とだけ言っているんだけど、何についての祈りかは多分八虎も判ってないと思う。要するに、上の前提が合ってると仮定した上で書くなら、森先輩は、自身を女としては未熟なまだ少女である状態で、青春のただ中であるはずの18歳であるこの時を、同じ女性たちとともに、芸術の中でひたすらストイックな修練をつづけ絵を描き続けていく請願を立てるとか、その上での女性たちサイドのための祈り、みたいな、そんな感じの絵なのかもしれない。・・・つまり美大入学後の森先輩は、すごく禁欲的な、昔でいう画僧とか尼僧みたいなポジションなのでは。その上で生身の肉体の暗喩としてそういう表現にもなっているのかもなと・・・で、祈りというか請願だなぁ、と思ったのは、つまり、キリスト教系看護学校だったら看護士さんたちは戴帽式の時に教会内で神に請願をしたりするわけで。修練して仕事につく上でそういう精神を獲得しなくてはならない職種というのもあるんだよね。森先輩は絵描きとしてそういう方向性にすすみつつあるんじゃないだろうか、みたいな。・・・・・(ていうか、画を描いた人がそうなのかどうかはまた別問題なので勘違いしないように。この絵がこの作品のために描かれたものなら「キャラとしての森先輩の絵」というコンセプトがあって、そういう絵に描かれたはずなので。) 12/21
0:35 )
あと、ヌードモデルのシーンで、芸術モチーフのアニメなのにバストトップをアニメ版で表現していなかったのは、あまり挑戦的でないのではないか?っていう意見がネット上に割と多いらしい。うーん・・・つまり、そこでルールを守るように強いてしまいがちな所はやっぱり問題なのかなとか、東京藝大受験がモチーフのアニメなので、いい子にならざるを得なかったのか・・・・・・。
でも、自分も人形造型する時に、割とバストトップは最後に入れるような気がするよね、そこ以外で量感を出して、積み上げた上でないと入れられない部分ってある。画竜点睛みたいな。ジャコメッティは「鼻ができない鼻ができない」といいながら彫刻を作った。つまり(ジャコメッティはとんでもなく枯木みたいな人体を造型するけれど)、その中でイメージとして、骨、筋肉など肉付け→表面を積み上げて最後に鼻、って意味でそういう言葉を言いながら彫刻していたらしいんだけど、バストトップも似たようなものかもしれないから、つまりバストトップなしの量感→キャラクター性があのヌードモデルさんの動画から出ていればいいんじゃないかと思う。そういう描き方がされてただけ、アニメーターさんは努力してたと思うけど 12/20 10:26~43 )
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