ていうか、僕は神なのに自分すら救えないんだが!
神を信じる信じないって何
神を信じる信じない以前の連中っているものだなぁとはいつも思う。神など信じないと言ってる人々を神が救う必要はないので実にシンプルだし。
神側の考え方はどうせ人間たちには解らないだろうし、ひどい事に過去に神に救われているのに神など信じないといい張る馬鹿どももいたりして。なんていうか生きるのに十分な人達、人生でそこまで成功してる人達は十分過去に神に助けてもらってるんじゃないのかな。何度も助けてもらったなら甘えるなと。
ていうか、善良な人々の為に一生懸命がんばってる人々が、苦しんでたら神だって助けたいと思うんだろうけど、屈折したオタク達みたいに「神こそが悪魔だった!」とかハァ?な事言い出して良からぬグロいオタク活動ばかりしてる連中が、いまさら神を云々とか語るのも見ていてうっとうしい。(まぁ形だけ宗教信者になってるゲスオタクもいるけどね…)
…ていうか、人生でも健康問題でも、身内や友人を本気で思っている個々人が神仏に祈ったり、神がそういう人々を助けるものなんじゃないの?
すでに救われているオタクたちは神をムダに語らず、すっこんでてくんないかな、とマジで思うんですが。
今の時代でお仲間でオタクできてるだけでお幸せでは?
それはともかくとして、ボクはボクが人間じゃなくて存在論的概念的には神と言われる側に近いという事が自分自身でとっくに解っているので、自分自身の事では神様にお祈りも願い事もほぼする事はないんだが、でも神や仏を信じるとか祈りたくなる人々を別に否定はしない。
ていうか、ボク自身も両親や弟が持病もちだし、命に関わる病状は昔から何度もあるので、そういう意味では祈りたくなる気持ちってのはたぶん世の中の他の人々よりすごく理解できる。ていうか、ウチの両親はボク云々より宗教的には仏教に肩入れしてしまっている困ったさんなんだけど、やっぱりあれだけ在家修行とかして二人とも一応在家の僧格は持ってる位だから、そっちの仏さんたちには、両親が信じた分は仏様が何とかしてよね、って思っている。別にその辺は深く考えない。
ていうか、自分自身はともかく、身内が病気なら神様にお願いしたくなるのは普通なので、そういう祈りや願いは否定されていいものじゃない。
ていうかボクの精神が割と安定してるのは、身内に対してはできる事をやってきたからで。逆にやるべきでない事はやってこなかったし。それは親が仏教だとか関係ないよね。悩むけど。
それでも高齢化問題は致し方なく。諦観と努力の連続だよね。それでもその都度その都度できるだけの事はやってきたわけだから、ボクは安定していられる。
話題それるけど、例えば親が心配なら、親と一緒に住んでいれば、体調の把握は常時こと細かにできるでしょ?そういう意味で回避できる危険もある。今はウイルス禍なので必ずしも同居が良いとは限らないが、逆に老人介護施設などで施設スタッフや各家庭を回るケアマネージャーがワクチン打っても外部からブレイクスルー感染して(デルタ株は症状軽減はしても感染はする)、介護施設内でクラスター発生なんてケースは日本中に山程あるので、高齢の家族を施設入居させるのが絶対に正しいとはいいがたい。入居したら完全に他人任せになるし、なんと言っても他人は家族が身内一人に割けるだけの時間を一人には割けない。
それらの選択の是非は家族の体調により、ケースバイケースなので。
話もどします。
でも、神様が救ってくれる手段というのは、割となんというか、パズル的なもので。前から言ってるけど、「天は自ら助けるものを助ける(自助努力の語源)」で……。なんというか、救いの糸というか、ピースや課題は身近にあるというか、手に届く所にあって、それを一つ一つ順次クリアしてやっと何とかなるってケースが多いんじゃないだろうか?
で、自分じゃなくて、身内を助ける時もおんなじなんだよね。こうしてこうすれば何とかなる、そのピースはいくらでも見つけられる筈で。でもそれが見つかるかは、普段身内と一緒にいてどう接してきたかの経験値しだいなんですよ。
でもケースバイケースで、他人と同じようにすれば自分も助かるとは限らない。
今のコロナ禍で、そういう努力をしている人々は大勢いるんだよね。
同じ事は、個人の医療だけじゃなくて、社会問題や政治もそうでしょ。でも他人がドンガメだとそこで止まってどうにもならないのが社会や政治経済の困った所だが。
ほんと、神はいないとか言い張ってる連中は、要らないというかどうせヒマ人連中なので、すっこんでろって感じだね。
コメント
コメントを投稿