ていうか、僕は親が死ぬまで脛をかじり続けるしかないんだが!

 

うーん…

 成田先生に紫綬褒章あげたかったなぁ。まぁそれはそれとして。

 エヴァには割とネタ流用されてきたし、色々複雑な心境もあるけど、監督としてはあの人がもらう意味はあるのかな。いわゆる監督業って恐竜みたいなものだけどね。

 でも、なんでボクが公開当時シンエヴァには自分的に意味がないと言ったかというと、まぁデザイン意匠見た目的な所もだけど、つまりあれって、親別れ子別れの物語なんですよね。

 で、世の中には、逆に、親きょうだいや祖父母が病気で、どんなに才能実力があっても家から離れるわけにいかない子たちっているでしょう。ボクもそうだったけど。でもそれができるかどうか(そこで身内と頑張れるかどうか)で、親が天寿全うできるかどうか位の違いがある。

 でも、シンエヴァって、そういう風に生きざるを得なかったボクには、全く共感できない物語なんですよね。実は。

 多分そういう親別れ子別れの物語は90年代前半なら自分も見たいかなと思ったかも知れないけど。でもボクが病気の家族を置いて家から出てたら、今まで何度も親が短命におわるケースはあったわけで。チアノーゼでボクが心臓マッサージして命とりとめたみたいな事もあったし。

 ボクはそういう生き方でも自己実現できる、というバランス性は大事だと思っているので。まぁ一般論として、個としても社会としても必要でしょう。でもそういう方向にはこの社会は向いてないよね。業界も同様。

 つまり親きょうだいや祖父母と一緒にいなくちゃならない子でも、才能使って自己実現したりアニメ特撮に参加したりっていうルート提示の方が大事なので。というかどっちの可能性も生かす事の方が大事でしょう。

 「業界に来たい?親を捨てられたらね」みたいなのは、ただのカスなんだよね。で、ボクが持ち込んだもの提出したものからパクるとかね。茶飯事で。

 だから、「コーダあいのうた」みたいなのがアカデミー賞取るのは正解だと思うし。

 でもあれも…だが。つまりヒロインの家庭内機能を社会代替できないか、って事でしょ?同時並行できる自由さが大事なんだけどな、と。つまり、自由が認められればそれでなんとかなる、って、そこの方が。


 しがらみのない人やそれを断ち切ってる人が活躍できるのはボクから見れば当たり前で。大した事じゃ無いんですよね。

 多分あの作品は、ヤングケアラーにも意味がない。多分ボクがフリマで会話していた貧困児童たちにも意味がない。まぁ色々あるけど、だからシンエヴァは見ない、と言ってたわけで。つまり、いわゆる監督たちが重要視しているものが(社会でも部下でもスタッフでもオタク縁故的な概念でも、集団や人類のための正義や団結でも)、ボクには全く意味が無い。だからシンエヴァを見なかったって事です。

 だって、社会なんてね…そうやって仲間だ絆だ言ったあげくに、そのつながり依存や仕事や社会性肯定がコロナ感染源になって、それまで介護努力していたのに…って事になったりもするじゃん。何が大事なんだろう、って事でしょう。

 端的にいうと、なんかあの作品は親以外のつながりの為に親を捨てる連中を美化してるように感じるんですよね。

 つまりシンエヴァが大事だと言ってるものにボクはずっと前から意味を感じていないんだよね。だから響かない。

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