ていうか、僕は「表現者の敵」なんだが!
自由・・・言論でも表現でも思想信条宗教でも・・・(随時更新)
・・・ボクをいわゆる悪質で無知で無恥なオタクたち(男女どちらも)を煽り立ててネットリンチにしたい悪質連中が、ボクの事を「表現の自由の敵」だの「表現者の敵」だの延々とデマ言い続けているわけだけど。で、そもそもボクが批判してきたのは、コミケ直営店が実物レプリカ問わずに販売してきたナチス軍服や腕章を使ったナチス軍装をコミケで若者たちの前でカギ十字コスプレするような行為に対してだったり、うる星やセーラームーンやプリキュアなどの既存キャラクターを異常趣味18禁同人誌群が四肢切断したりスプラッターホラー的描写だの汚物排泄物ネタにして輪姦するような18禁パロディ同人誌が80年代以来ずっと続いていた事に対してだったりなんだが。(※他にも批判すべき事山程あるけど(薬物集団レイプ系があまりにも多すぎるなど)、とりあえずこの項は言論とか表現とか自由についての話)
でもそれを悪質コミケスタッフとその仲間の連中などが同人誌の敵だ、だの、コスプレの敵だ、だの、で、『表現者の敵」だなどとデマを言われているわけなんだが、でも自分はプロフィールにも書いている通り、そもそもオリジナル系のデザイナーで美術作家で立体造型作家でコミックも描く文章作家で写真家でフリージャーナリストでもあるわけで。収入次第なんだが。
(・・・あげくの果てに玩具コレクション関係でこちらが詐欺もしていないのに詐欺師呼ばわりしたりとか、そういうデマを延々と流されていて、ボクは本当に連中に大被害を受けてきてるんだが)
・・・というかそもそもボク自体が子供のころから「表現」と縁遠かった事があるだろうか?という・・・表現者以外であった事なんかあっただろうか?って思うんだが。ボクの「Nectaful-ααα」(公式サイト。www.nectaful-aaa.com)を見て、ボクの事を「表現者では無い」なんて思う馬鹿がどこにいるんだろうか?・・・普通だったらいないよね。
それでも言い張るというのは、つまりそういう悪質オタクたちが確信犯的に「そう言い張りたいから言い張る、そうネット民にも思わせたいから言い張る」って事でしかないわけで。
そもそも彼らコミケ系悪質オタク連中というのは、彼らの趣味のパロディー系のエログロだのなんだのについて批判されたから「表現者の敵」とか言っていて、でもそれで煽られるコミケのオタクたちというのはいわばエロでもグロでもやおい系(男性同性愛系)同人誌でも、いわゆる18禁同人層のファンがほとんどなんだが・・・・でもそれほどボクが性表現を批判してきたかといえば実際ボクはほとんどしていない。ノーマル系18禁というか穏健なラブラブ系の18禁だったらボクは別に否定も批判もしていないからだ(コミックゲーム同人に限らず)。
やおいというか男性同性愛系のそれらに対しても同様で、リアルのボクはそういう行為は無理だとは言った事はあるけれど、別に全く理解できないとは言ってない。自分の肉体と直結したリアルな性行為としてはボクには無理だってだけで。
なんていうか、悪質連中がなんていうか同人オタクでもコスプレオタクでも煽る事ができるのは・・・それは彼ら彼女らが現実問題に無知だから煽れるのは当然なんですが、それ以外に「表現の自由」というお題目がキレイだから、ってのがあるんですよね。
表現は自由であるべきだってのはボクが一番解ってますが・・・でもコミケの人々というのはオタクのパロディ表現やエログロ表現(むしろグロ表現)の自由は重視するけれど、「言論の自由」や「思想信条の自由」や「宗教の自由」は、極めて軽視するわけで。だからコミケの人々は表現の自由のために、コミケ外部の他の人々のそれらの自由に対しては極めて弾圧を加え続けるわけで。つまりコミケの全ての人々はとっくの昔に洗脳済なんですよね。
例えば18禁コミック同人誌でも聖職者やシスターや天使に性的乱暴を集団で加えるような同人作品は過去それこそ数限りなく無数にあるけど、でもそれが信仰差別というか精神的弾圧だって事に全く気付かないじゃないですか。そういうのがあったから90年ごろのオタク叩きでコミケがキリスト教団体に批判されたりもしたんだけど、それって叩かれて「あたりまえ」でしょ?でもコミケの連中って批判されてあたりまえだというそれが全く一切解らない。彼らの自由のために他人の自由を認めないわけです。
・・・そもそもボクはボクの表現活動、特に漫画でもイラストでも造型でも、はジェンダーと切り離せない(不可分)だと思ってきたし、実際10代からずっとそういう表現をしたり作品を続けてきたわけで。高校の時とかSFが少し入ったハードボイルド探偵漫画(「シガレットチョコ」)を描いてたりしたけど、それはSFデザインでも同じで。なんていうか、ボクの描いてきたデザインでも作品でも、どちらかというとハードテクノ系もしくはバイオテクノとかバイオサイエンス系の作品が多かったりヌードも多かったりしていたんだけど。というか、要するに国内アニメの影響もあったけど、海外SF映画などの影響もあって。で、ボクが中高生の頃っていうのは80年代前半なんだけど、そもそも海外映画で、子供向けでない10代以上向けのSF映画作品とかアクションものって、女性のヌードが作品にあるのは自然で普通だったんだよね。たとえばアクションものなら「007」とかそうだし、SFだったら「エイリアン」「スペースバンパイア」「バーバレラ」「ブレードランナー」でもちょっとティーン以上向けのデートムービー的映画ならSFでもホラーでも全部ヌードシーンはありだし、そもそも国内のロボットアニメでもヌードシーン多かったから(サンライズは特に)。だから、ティーン以上向けの作品を作りたい、できれば世界対応(ハリウッド的思考)で・・・って考え方で一貫してた自分の場合ジェンダー表現とは不可分ってのは、もう80年代の10代から一貫してたわけです。自分は。
あと、ボクの場合子供の頃からピアノ教室でピアノを習っていて、でもボクの場合少年期から普通の一般書店などでは立ち読みをしなくて、主に小学生時代の漫画雑誌は、ピアノ教室で待合時間に読める漫画か床屋さんでの待合時間に読んでおっかける、みたいな事が多かったので、少年期は読んでた漫画も少女漫画が圧倒的に多かった、って事で、だから絵柄は、どちらかというと少女漫画的細い線のキャラに近くなったり、ジェンダー的には女子系キャラに近くなったりだった。
もう一つそういう方向性だった理由としては、(まぁ10代の思春期だったから当然そういう考え方だった(今でもそうですが)、というのがあるけれど)、ウチの近所にいわゆる時代劇や官能系の劇画をずっと描いている劇画家さんが住んでいて。で、実は成田氏の美術教室に通おうかどうしようか迷っていた時もその人に「そういう人に習えるかもしれないんだったら習った方がいい!!」と背中押してもらえた所があった。その人は本当に最近までずっと描いてる人なんだけど時代劇劇画も官能劇画系もレディコミ系も描いてしかも昔は図鑑の挿絵もやってて児童文庫も書いてて最近は絵本とかも書いてて。官能劇画というか今でいえば18禁でかなりハードな漫画を描く人なんだけど、でもいわゆる「成年コミック指定」制度というのは1991~92年より後(ボクが成田教室退室した後頃)に出来たものだから。そもそも80年代にはどんな漫画を読むのでも年齢制限って元々無いので。
(実は近場の方の親戚で別の超有名漫画家さん(夫妻で有名)もいるわけなんだけど、その漫画家さんもベッドシーンは普通に描くよね。)
というかそもそも、手塚治虫氏でもトキワ荘の石ノ森氏などの漫画家さんでも、子供向け作品も大人向け作品も書くじゃないですか。児童向けも、少年漫画も少女漫画もエロス&バイオレンスでも描く。それはボクも普通だと思うので。
それで、成田先生の美術教室に入る前の面接で、ボクの過去作品というのはそれこそ小学生の頃に描いていた「タマゴちゃん」(自作怪獣が結構出るので)から、模型情報のコンテストに送ったものから、シガレットチョコから、巨大女性型クローン兵器のNBTから、近作だった89年版のEg(E9)からラップガードから全部成田先生夫妻には見てもらって入っているので。で、デッサンは昔は描けたはずなんだけどやっぱり意図的に描く努力をしないと描けなくなってしまうみたいで煮詰まる、みたいな事を話したり。近所にこれこれこういう劇画家の人が住んでてその人にも先生の所で習う事を勧められた、みたいな事も話したり。
(実は高1の時の同級生から先生のいとこの娘さんが描いていた「エイリアン通り」を勧められて以来ファンで高校の時に全巻買ってたりするんだが、ぶっちゃけそういう関係だと全く知らないで入った。というか先生がボクの生まれて住んでた兵庫のアパートから2kmの所の小学校に通ってた事も知らなかった)・・・つまり、ボクの表現にそういうジェンダー表現の傾向がある、というのは成田先生は最初から知っていた。その上で、たとえば漫画を描くのでも、NBTのようなデザインを描くのでも、デッサンを勉強すればまた違うものが描けるから、みたいな事を言われて、それで成田美術教室に入ったわけで。
つまり、訳のわからない叩きの発言では、ボク(森本)がジェンダー表現なんてものをするから、成田氏の弟子を名乗る資格が無い、みたいな滅茶苦茶な言い分があるんだけど、そもそもボクがジェンダー表現ありの漫画でもアニメでもデザインでも指向性として持っているって事は、成田先生はボクが教室に入る前から知っていて、そんな事は最初から先刻承知の上で、その役にも立つから、って事でボクは成田教室に入ってるわけです。
というかそもそも70~80年代の海外SF映画にそういうヌードシーンやエロス&バイオレンスがあったなんて事は成田先生は当然知っている。成田先生はずっと朝日ソノラマの特撮雑誌「宇宙船」に連載持つなどしていたけど、宇宙船誌は・・・ぶっちゃけ80年代はそういう海外映画やいわゆるスプラッターホラーの特殊メイクアップ系(たとえば海外ホラー映画には女性ヌードのゾンビ化などもあったわけだが)にかなり傾注している雑誌だったので、そういう末期的な時代なんだなというのは先生は当然解っているし。
その上で、ボクは色々同時並行で美術の勉強とか、大江山鬼モニュメントやCMセットの原型作業をしながら立体造型の勉強をしていて弟子を名乗っていいと言われるようになったりもしたわけで、そもそもそういう面で成田先生もそもそもロダンの弟子のブールデルの弟子の清水氏の生徒の彫刻家でありつつ、映画の美術もしていたわけだから。人間の真実や人体を描く事の否定なんてありえない。
というか成田氏(夫妻)は「映画を愛していた」んだよね。成田先生が特撮など美術にたずさわった大人層をメイン観客とするような映画でも「越後つついし親不知」とか、かなり女性が性的に大変な目にあう映画(昔は多い)もあったわけだし。そういうシーンは映画にあるけれど、仕事があれば受ける、っていうスタンスはあるじゃないですか。特に昔の映画はそういうシーンはつきものだし。仕事としてやるかどうかは別として映画にはエロス&バイオレンスはつき物だし。それは子息さんも例えば「ホワイトアウト」に出てたりライダー怪人の人間体役とかVシネマ系とか「ガンウーマン」みたいなバイオレンス系の作品に出てたりもするし、で同時にナレーションもやって「二宮金次郎」にも出演して各種舞台もメインにやってるわけでしょ。・・・ていうか、成田先生って本当に映画の特撮美術の仕事や画家彫刻家としての仕事以外にも、太陽の塔の内側の「生命の樹」の美術監督もしていたし。東京ディズニーランドのカリブの海賊の美術監督とかもやってるし。風と共に去りぬの舞台のセットとかデパートのディスプレイとか、車のショールームとか、加えて某秘●館の美術もコンスタントに(数年以上)請け負ってたりするんだよね・・・(授業などで聞いた話。なんて所か名前は知ってるがどんな美術だったか詳しくは知らない。どんなか見せてもらいたかった!!)・・・でも、来るものは拒まずなのかと思うと先生の中にそれなりに基準はあるわけだし・・・一つ一つが「挑戦」なんだろうか?でも、つまり、美術監督とか店舗などのディスプレイデザインを担当する、デザインや美術を仕事にするってのはそういう事で・・・
・・・つまり、デザインや美術の美しさで、よりコマーシャルしたい対象の美しさだったり本質的な良さだったりを引き出して見せたり、差別や偏見を取り除くという力があるじゃないですか。カッコよく見せたり美しく見せたりする。それがアートの力でそれによって救われるものもある。それって意味の無い事じゃ無いんですよね。(まぁ確かにリアリティーを出す方向もあるけど、要するにバランスでしょう)
というか、成田先生自身は、教室のテキストにも書いていたけど、つまりエロス(生)とタナトス(死)をないまぜにするような表現については極めて問題を感じていたわけで。要するに生命は生命で、死は死である、という。生命の真善美は真善美で、しかしその逆は逆なのだ、って、そこにすごくこだわっていて、ボクが勉強になった所はそこかな、と。
(※あんまりそこばっかり言う気も無いんだけどこの項は「表現の自由」についてのテーマなので了承を。・・・例えばここ最近市内のディスカウント店(ドンキ)の中にもアダルトグッズの大きいコーナーが出来たりしてるけど、そういうコーナーでも当然ディスプレイ担当の人はいるわけじゃないですか。もちろんアダルト系店舗などにもディスプレイ担当の人はいるんだけど、そういうのを後ろ暗いとかコンプレックスだとか引け目に思わないようにする事はアート系の力でもあると思うんだよね。そういう仕事をしている人が仕事を負い目に感じる必要は無いと思う。それをやったから別の仕事をしてはならないなんてのは無いのだから。(※成田先生が数年以上してた秘●館の美術でも、例えばどこかの温泉地で秘●館を見に行ったカップルや夫婦が盛り上がって、それで生まれた子供たちも大量にいるわけだし(やんちゃかも知れないが)、社会的に意味がないわけじゃ無いんだよ。 ←何年か前に多摩美大の学祭行った時も女子学生らが秘●館を作って展示してた。あと、美大やデザイン専門学校卒でも今、生きて行くのは大変で。どんな仕事でもしなきゃならない若者たちは厳然と多い))
だから、たとえばボク(森本)がジェンダー的な表現(性表現)をするなら森本は弟子ではない、なんて偏見は、成田氏には元々無かったわけです。それはそういうのも込み込みで、成田氏がそう判断してたわけなので。
(つまり、何かそういう、ボクの中にそういう表現せずにいられないものがある、って事は最初から成田夫妻は解ってたと思う。その上で、って意味です。ジェンダー表現云々を使って、何らかの自由の為に頑張ってるんだろうな、という事を先生は解ってたんだと思う。
で、ボク個人としては、ボクの考え方とかそこ(信念でも美意識でも精神でも)は実は10代からブレて無いんですよね。ブレて無いその芯の部分が、結局業界でも同人界でも要はそこのみんなと完全に別離してしまった、ってだけの事で・・・・・ )
(もう少し長くなるので随時更新)
まぁ、ボクが成田先生と会っていようがいなかろうがどういう存在なのか、という事については、誕生日の事とかあまりに世人と違う事で、余程頭が悪くなければ誰でも気づく事なんだが、それはともかく、成田氏は成田氏で、世の中の大先輩として芸術や創作やデザインや業界の仕事をしていて、色々悩んで試行錯誤しながら作品を作ったりお仕事をしていた。で、成田氏とボクが一致してたのは、やっぱりゾンビや死体表現過多の特撮SFXはまずい、みたいな考え方とかで。
あと、「やっぱり成田先生はウルトラマンをやった人だから、子供向けの作品だけ描いてればいい」のような世の中の先入観や縛りに本当に苦しんでいたよね。それら作品も先生のモニュメントではあるけど、著作権の一部すら円谷プロは認めようとしなかったので。もっと先生は青少年向きを作りたかったんじゃないかなと。後年のヒーロー企画はそんな雰囲気だし。
ボクなんかは主に十代以上向け想定で描いてきたけど、成田氏は未就学児や親子向けばかり、というより特撮オタク向けばかり期待されてるじゃないですか。で、ボクが「先生はオタクとかの事なんて考えなくていいんですよ!!新作作ればいいじゃないですか!」って言ったらすごく嬉しそうに「いいのか!!」と言ってたけど。
ボク自身は生と死ってそんなにぱっきり別れているものではないと思う。ボクにとって善良な人々の魂は不滅で当然だと思うので。人は生きている時から徐々に行く先に向かうものだと思うので。…でも、善なる人々の魂が不滅であるべきと思うなら、例えばウイルス感染してなくなったお年寄りたちにも天国で幸せになってくれる事を祈るべきだし、ウクライナ国民の無数の遺体にも天国で幸せになってくれる事を祈るべきだし。侵攻したロシア軍人の遺体には地獄に堕ちろでも仕方ないが。
↑ これを言ってはならないと言い出す事が、思想信条や宗教の自由や発言の自由をないがしろにする事そのものなんだよ。
つまり、表現の自由を大事にしたり表現する上で、オリジナルを作り出したり世に問う上で本当に障害が多いのがこの世の間違っている所だし、でもそれら障害を生み出す偏見ってのは社会の全てが持っている。それらの偏見は誰をも圧力者に変えるし。その意味ではSNSやコミケも悪質な偏見の固まりなんだよね。
ウルトラマンデザイナーの生徒なら怪獣好きな幼稚な、恋愛もできないガキに違いない、という偏見を大多数のオタクたちに広めてニタニタ、それがコミケ。(で、そういうコミケなどの悪質集団性や人斬り集団をこそ美化して賛美しているような傾向の作品が、やたら多かったりもするわけだが。
コミケは昔も今も、差別と偏見を生み出して面白がっている集団です。そこは断言します。)
美術芸術的な視点やオリジナルを作る側の視点からだと、業界も偏見に満ちているし、同人界もパクリとグロと性暴力賛美で酷いし、って事でしかなく。コミケなんかいまだに最低だし。いずれにしても、既存キャラに無理やりホモネタやらしたり汚物まみれにして輪姦したりナチネタや軍国賛美ネタや差別ネタ書いたりがコミケの守りたい表現パロディ18禁同人誌の独特の部分って事でしかないわけで。だってそれ以外既存のオフィシャルがネタだし。ほとんど他の同人誌即売会でもある表現だし。
で、オリジナル表現に孤独で努力してきたボクに対しては「表現者の敵」とか言ってるわけでしょ。言う資格の無い邪悪な連中が。こっちの言論や思想信条や宗教感を封殺したり、さらには大量の偽アカウントで歪めてまで。
表現の自由も大事だけど、コミケの悪質な連中が無視して踏みにじり続ける、言論の自由や思想信条の自由や恋愛や結婚の自由も、それぞれ同等に大事なんだよね。連中には絶対に解らないけど。(12:32〜13:44 随時更新)
(※ というか、最近は解ってきた人も少数いるみたいだけど、成田ヒーローの特徴って、ヒューマン以降、80年代も90年代も先生は新ヒーローデザイン画を描いていたけど、あの鼻の無い正中線の顔とアルカイックスマイルなんだよね。でもそういうデザインをマンセブン以降、ヒューマンでもバンキッド宇宙人でも先生が世に出していてすら、「その鼻とクチはウルトラマンが続けてる」みたいな事を業界やオタクらはいうわけで、その無理解や無知識の圧も、晩年の先生が新ヒーロー映像作品を作れなくなってた理由ですよね。 16:43)
つまり、端的に言えば、大衆向け商業マスプロダクトや業界集団による総合芸術(実際には芸術的な別のもの)の勝利か、それともボクや晩年の成田氏の志向していた個人製作の美術や私的心情による芸術製作か、というと、やっぱり業界が集団作業で作れば前者のマスプロダクト作品方向になってしまう。もちろんソフビ生産に中国が絡んで世界の人々主に子連れが見るなら、万人向けのテーマの作品になる。世界の規制だの「こんなのいいんですか」的な圧力はすごいし、日本の圧力もすごいから。でもそこでテーマから切り捨てられる心情には、おそらくボクの心情や成田氏の多くの私的心情も含まれるんだろうな、と。
例えば、ウルトラの一般的ファンやオタクは、成田氏の晩年の書籍に書かれた私的本心を読んで、読みたく無かったなどという人々も多いのね。それらが結局無数に集まって圧になってたわけで昔から。そういう先生の本心も「要らないものを削ぎ落とす」になってしまって無かった事になったら嫌だな、って事。
シンウルトラマン公開まで近いので、今回の映画は、素直な気持ちでみんなは見たほういいと思うのだけど。多分映画を見てしばらく経たないとボクの言葉はみんな思い出さないんじゃないかな。多分時間が経ってから、あ、森本あんな事言ってたなとか、思い出すのかも知れない。
で、何より、みんなの「自由」ってこれから、どんどん締め付けられる時代になるんだろうな、と、ウクライナ報道を毎日見ながら思う。(22:23)
コメント
コメントを投稿