ていうか、54歳にもなって落書きしかできない無能なんだが!
オリジナルデザイン描いてて思う事
ボクはいわゆる架空生体デザインというか神だの天使だの宇宙人だのばかり描いているわけで。でも成田氏の元生徒の割におまえフリーダム過ぎるだろ、とは陰口言われる所だけど、フリーダムをやめるつもりはないというか、自分なりに基準は設けているというか。
で、こないだ書いた問題。成田氏のデザイン3原則に、成田氏自身の目が多かったり、顔が多かったり(ダダ)は抵触しないのか?という問題なんだけど。ボクも目の数の多いキャラは書くのだが大体ボクは善良キャラしか描かない…でも、普通の怪獣怪人描いてる連中は大体悪キャラの象徴として目を増やす。
で、こないだ書いた通り、成田氏が顔を多くしたダダ(三面怪人)は、もともと興福寺の阿修羅像をモチーフとしている。で、他にバンキッドの宇宙人の場合があるんだが、あれは自分も市内図書館でみた、いわゆる日本国内の秘仏(未開帳仏)にああいった目の多い仏像だか神像(天部の神像)というのがあるわけで、それをなぞっていると考えられる。つまり、純然たる悪としてバンキッド宇宙人はデザインされていない、って事になる。宇宙人=天部の神々、のようなイメージでデザインされている。
で、ボクが以前からかなり悩んでいる事、というか、成田氏はそういう評価を望んでいたんだろうか、という事の一つに、「成田氏は(怪獣という)意味のない形を作り出した事が功績」という言葉が図録か書籍かに書かれていて、それには今でも疑問を感じている。
少なくとも自分はオリジナルデザイン上意味のない形状は考えない、ボクは漫画も描く奴だから(要収入だが)、デザインしている対象の物語やテーマなどと同時に考えるので。で、僕から見ると後年の成田氏が生物特性や物語のない生物デザインをしていたとは考えられないんだよね。企画を自分で立てようともしていた以上。
成田氏の宇宙人や怪獣が意味性のない形、という評価なのは、多分に「ヒーロー番組の特撮に用いられる、脚本や監督に意味を付加されて意味をなす使い勝手のいい形」という業界視点が重視された意見のような気もするけれど(利益追求の業界には極めて都合がいい)、でも逆に成田氏のデザインは脚本や監督やキャストがいて映像化されたものこそが意味がある、のような評価になってしまうわけで、でも本当に氏のデザインはそういうものだったのかどうか?(成田論的にすごい初歩を書いてる)
ボクのオリジナルデザインの場合はボクの作った設定や物語やそれぞれの性格や作品価値と不断で、そもそもボクの作品のためのボクのデザインした形、なのだから。「他人に提供された意味のない形」では無い。ボクにとって意味のある、ボクのデザインなので。
ていうか、ボクのデザインしたキャラがあるから、ボクはそのキャラの物語を考えてワンセットで発表可能になるわけで。どんなキャラデザインだってそうでしょ。形があるから物語を楽に考えられる。
そういう意味ではキャンディキャンディ裁判の判決は、ボクは極端だと思っている。もちろん原作者の権利は当然だとしても、あのキャラクターデザイン無しに物語を全て書ききる事ができるものだろうか?
つまり、成田氏が晩年主張していたウルトラマンのキャラデザイン著作権について、認められない、になってしまっているのは、いわばその、「形が導く物語もある」の全面的な否定、でもあると思うのだが。
ボクはもうここしばらくずっと、ボク用の完全オリジナルデザインしか描いてないけれど。
で(それはさておき)、ところが、そういうボクのような個人作家のデザインはまあ存在自体で意味があると理解してもらいやすいにしても………晩年の成田氏のデザインを、特撮作品化されていないから価値が落ちるなどと軽視する特撮オタク的視点や業界視点というのは根深くあって。
だから、今回のシンウルトラマンでも成田新怪獣は登場せず、過去怪獣宇宙人のリメイク…いや、やりたいのがそれだったんだろうから仕方ないんだが、でも…
でもその反面、今回のシンウルトラマンのようなリメイクでも、先生のデザインの形は変えられちゃったじゃないですか。で、リファインと言ったりするでしょう。
そもそも、禍威獣として脚本が変わったから役回りも変わりデザインも変わった、それは、脚本監督含む人々がウルトラマン映画を作りたいから新規の脚本を作ってそれに合わせてデザインを変えてるわけで。うーん。で、完全に大量の人々が携わるわけでしょ。先生の生前には無かった規模の。
で、全体としては成田デザイン風を再現したいんだろうけど、個々のデザインとしては……という結果になってるんだよね。うーん……(随時更新)
例えば、元のメフィラス星人は黒猫(昔は不幸を呼ぶとされてた)がモチーフになっているけれど、今回のメフィラスはあまり猫っぽくない。むしろ耳とか背中のラインなのか?ザラブは裏から見ると空洞で、アイデアとしてはシャドー星人のような雌型(彫刻などの型)イメージの流用なんだけど、何故ザラブで?ってのが。理由は…あるんだろうか?わからないんだよね。たとえば天空人A(90年の個展時画タイトル。羽鳥書店、成田亨作品集288ページの細いの)なんかだと、正面がジャコメッティ的だったりする。先生の恩師がブールデル門下でジャコメッティと近しかったんだが……。で、一連の前衛彫刻的な成田デザイン的なリメイクデザインを作りたいというのはあったのかもしれないが劇中でわかりづらいし生かされてない。特にソフビになるとわかりづらい。
特に新デザインのメフィラスとニセウルトラマンは、その姿で出したかったから出したのか?が解らない。たとえば企画段階では絶対に昔のニセウルトラマンを出したかったんじゃないかと思うんだが… 7:42〜50
(補記: あと、ゼットンの件なんだが、ボクのαααなどがDNAや植物を想起させる螺旋構造のデザインなのは、星を開発して生命を根付かせる神って設定なのと、ボクと両親がテーマの部分もあるから螺旋デザインにしてるんだけど。ディーナ人系はDNAテーマだし。……でも、シンゼットンに螺旋構造を入れなくてはならない理由が見当たらなかったりするんだよ。その辺がね…(-_-);
まぁ自己増殖型だからかもしれんけど…よりにもよって成田氏いう所の悪魔の象徴たるゼットンでそこを強調すべきなのかどうか?っていう 14:26〜31)
それでもシン〜なりの禍威獣なり外星人になってはいる。恐らくは前田氏などにとってはパワードのリベンジマッチなのだと思う。より成功といえるリメイクをしたいという気持ちがあればそれはリメイクにならざるを得ない。現代化するのがファイン化なら、それはリファインなのかも知れず。
シンのリファインのディテール的な方法論は、確かに成田氏を追っていると思う。しかし。
でも、成田氏が認めて欲しかったのは、晩年の新デザインの方だった、って事は………もう何度も書いてきたからいいか;
問題は、成田氏の新オリジナルデザインが今回も映像化されなくて、既存怪獣名星人名のしか出なかったのは、つまりこういう特撮などの作品のデザイナーや美術より、文芸が優先される、という、やっぱり商業作品だとそういう事になるのか…と思って悲しかったりしたのだ。(8:18)
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