ていうか、「シン・ウルトラマン」が批判されるのは許せないんだが!

 

シンウルトラマン批判はあって仕方ない

 ネットやYoutubeで、シンウルトラマンの内容が好戦的というか戦闘的過ぎるという親世代の意見があり、それをネット民や特撮ファン庵野ファンが袋だたき的に批判する事態になっていて、極めて情けないと思う。

 事実今回のシンウルトラマンの内容は色々とオタク向けかつ中学高校以上向けで、事実子供そっちのけな部分はあるし、ピグモンやシーボーズなど子供に人気の怪獣はでないから、そういう意見が出ても仕方がない。実際、そういう危惧があるから、ボクもなんども、子供は親やおじいちゃんおばあちゃんと行くべきだ、とここで書いてきたわけだし。

 ……「成田亨夫人の成田流里先生がいいと思える作品になるかどうかが重要」、とボクが再三書いていた真意の一部はそういう事で、つまり、子供や祖父母が一緒に見に行けないウルトラマンは駄目だよ、とそういう事だったのだ。芸術性とテーマをいかに祖父母世代と子供も見れるものにできるかというクギを何度もスタッフにさしていたようなもので。で、それが成功したかと言えば……少なくとも子供はイントロと中盤に本筋と関係なくチラリとでるだけなので、その部分は、ボクの基準でいえば、評価のしようがないと言わざるを得ない。微妙なんだよなぁ…

 で、なんで戦闘的過ぎると言われてしまうのかと言えば、色々理由はあるんだが、製作協力に現実の自衛隊や、自衛隊の兵器を作っている三菱系の三菱地所(地所だから兵器は作ってないが)などが絡んでしまっている、時点で、つまり国防行為礼賛、自己犠牲思想礼賛的な映画テーマになっていると見なされても仕方がないのだ。(まぁ、シンゴジラ以前から樋口作品はガメラなど、自衛隊全面協力が良い形で行われていたので、その流れで出ているんだが…タイミングがなぁ…ウルトラマンだし…)

 というか、庵野氏らはゼネプロ系列だけど、ゼネプロ→ガイナックスはまぁ、戦隊ものテーマの愛国戦隊大日本にしてもヤマタノオロチの逆襲にしてもトップをねらえにしてもナディア、エヴァにしても愛国的な作品だったりヤマト的だったり散華の美学やカタルシスや自己犠牲者を客観的に見た散華の美学を描き続けてきているので、ボクは「シン〜」がこういう作品になる予測は最初からできていたし、つまり一般的にどうかなあという意見はあって当然なのだ。そういうテーマはボクだって強調し過ぎるのはいかがなものかと思うので。(だって明らかに朝ドラ層とは)

 その点、本当の意味で狭間の存在だったオリジナル原作脚本家の金城氏がフランスパリに本部を持つ世界組織としての科学特捜隊を設定したのに比べると、今回の映画は逃げ道がないリアルな国土防衛礼賛に思えてしまうし、それに抵抗感のある平和主義の人達がいても仕方がない。ボクもかなりその気持ちは解る。

 ただ、逆にこれが成田氏の意見と極度に違うかと言えば、そうとも言い切れないんだよね。成田氏は自分たちの日本の国土や領海は自分たち日本人で守るべき、という考え方だったから(90年頃はそうだった)。そこはボクと考え方が全く一致とは行かない所で。ボクはアメリカなどと協力でもいいじゃないかと思うわけなので。いや、もう日本一国ではどうにもならないというのが正しいんだけど。

 (随時更新)

 で。成田氏は海部元首相と同い年世代だったりしたが…別に、日本を日本人が守るって事自体は、そうできれば、って意見もあっていい。成田氏の考え方も、日本がそこまで窮地じゃない頃なら、ボクはそれでも構わなかっただろうと思うんだよね。当時なら。でも、そもそも今回はゼネプロ→ガイナ→カラーの戦う作品好き色が主導だし、何より戦闘作品至上主義のバンダイががっちり最初からかんでるので、より戦闘が正当的に描かれる描かれ方が映画内でされた、っていうのは、それは勘づく人々は勘づくよね。(いや、ザラブは悪いよ確かに。あれは真っ二つでいいけどさ…)

 もちろん成田夫人はすごく平和主義の方ですよ。平和ボケについては頑として批判する方だけど。

 でも、いま「日本は日本人のみの手で」っていうのは古すぎるし。そういう主張をする側もそういう主張を肯定する人々も、かなり要は、ネトウヨが極めて多いし。まして外国人排除主義の層は、ガイナやカラー好きのオタクたちにも特撮オタクたちにも、昔から極めて多い(アスカでもマリでも外人の血入ってるのにな)。こんなネトウヨの多い時代になると思わなかったが。

 だから、一番上で書いたような平和主義意見へのフルボッコが起きたりもするわけで、それが本当に嫌な時代だな…と。( 15:15 つづく)


 で…多分今回の作品で、現実の自衛隊がでなかったなら、ガボラやネロンガなどの怪獣が太古地球に置き去りにされた人工生物兵器でなかったなら(地球生物ではない)、ゼットンがよりにもよって光の星の巡洋艦的生物兵器じゃなかったなら、何より今、日本が集団的自衛権の国で、ロシアや中国の問題で世界が大変な事になっていなければ…ここまで自己犠牲的テーマがヤバくは感じられなくて、みんな良い映画だったと思っただろうなと思うし。

 それはもう、斎藤工氏の言う通り公開には今しかない、ってのは半分事実で、でも半分は明らかに、遅すぎる…。というかね、今回の「シン〜」って作品は、仮に日本が自国防衛か、集団的自衛権で交戦中での公開だったら、もう戦意高揚ならぬ防衛心高揚映画そのものなんだよね。そう受け取られかねない。

 日本のアニメだと戦時中に作られた「桃太郎海の神兵」の当時から戦意高揚アニメってあったんだけど。で、それと違う、友情映画だ、ってのを見せる事が、やっぱりコロナの制限下で、難しくなってたんじゃないか、とか。

 いやそもそも、そういうニュアンスは、全部「黙して語らず、態度で見せる」映画になってたんじゃないか…などなど。

 ……でも結論としては、今がこんなに世界情勢危険である以上、平和主義からの批判はあって仕方ないって事で(ボクも平和主義だし)、ゼネプロガイナ系オタクだか特撮オタクだか知らないけど、そこを叩いちゃ駄目だろ、って事なんだよね。(19:52〜56 つづく)

 

 ボクが前から書いてる事な気がするけれど、自己犠牲者たちというのは、何も自分から率先して自己犠牲になるわけじゃなくて、周囲の環境や状況や人々(集団)の努力レベルなどの問題で、自己犠牲せざるを得ない境遇になっている。つまり、環境や周囲次第で自己犠牲せずにすむし、(自己)犠牲者は減らす事ができるんだよね。(キリスト教の目指す所はつまり、自己犠牲しろでは無く、その分担による軽減をしようという思想なのだが、勘違いしている人が多い)

 で、それでも、今回のウルトラマンのように純粋過ぎるがゆえに笑って自己犠牲して消えていく存在はいるし、かつてそういう人々もいたし(戦争中など山程)、東日本大震災の時の警官や役所職員たちのように人々を逃して死んでいった人々もいるし、ウイルス禍でもそうして消える覚悟を半分持って働いてた医療従事者やエッセンシャルワーカーや介護従事の人々もいるわけで(まぁその人々が感染を広めたり事態はもう少し複雑だが)。でもみんな死にたくは無かったし、という、そこだよね。で、映画はああいう結果だったわけだけど。

 ウルトラマンの精神性は、今回の映画はすごく出ていたと思う。

 問題はその自己犠牲精神の受け止め方で。…ねぇ?!誰にも強要できるものでは無いでしょう?風潮にしてもいけないし。前から言ってるけど、自己犠牲者を待望している人々は、自己犠牲しないんですよ。で、オリジナルのゼットンによるウルトラマンの死の場合、別に死を覚悟してはいないんだよね。原作は単にゼットンが強すぎなだけで。死を覚悟していたのはセブンなので。


 でも、そんな中でも、ネットの感想の中にはすごく正しくこういうテーマを見ているなと思える感想もあって。そんな感想を読んだ時にはこういう感動をもたらす作品でもあって良かったなぁ、とも思う。で、大まかにオタクの中からもそういう意見が出てくる事はあり……本当に、どこからそういう素晴らしい感想が出てくるかは解らないんだよね。もしかしたらそこがとても大事な事なんだろうなぁ……と。( 6/17 8:10)


 もうそれは、受け取る人の感性だろうと。で、感性の鋭敏さによって、感動するポイントに、悲しさをどうしようもなく感じる人もいる、と。

 つまり、最初の命題に戻るなら、今回の映画は、単一作品の完成度とは別の評価で、これまでの架空の防衛部隊の活躍するウルトラシリーズに慣れているご家族から見ると、ゼネプロ&ガイナックス系バイアスがかかってしまったり自衛隊が全面協力している分、子供も見るのに国防意欲高揚作品じゃないか、と言われる可能性はあり(特に時期的に)、でもそこは仕方ない反発なので、受容せざるを得ない、という事だよね。(同 14:03)

 つまり、平和主義者側にとっては、平和主義が意味がない話としてしか作られていない、という欠点だったり、最も聡明でしかも地球人に関係ない存在が命を挺する形でしか救えない結末に、地球人にとって意味があるのだろうか、とか色々あるので、批判的意見はあって仕方ないんだ、って事です。まぁウルトラマンの場合原作もそうなんだけど。今回はゾーフィが命を二つ持ってきていない分、原作以上のバッドエンドとも言えるので。そもそもゾーフィが敵ってのは子供にとっては理解不能な事だし(どうしてゾーフィが助けてくれないのか理解できない)、結末を見て劇場出て泣いてた子供たちが多いってのも頷ける。(子供たちが泣かないには、「ウルトラマンが死んでも人間が生き残ったから良かった」と、ウルトラマンへの感情移入じゃなく、人間側に感情移入するしかない。でも子供が感情移入できそうな人間側の人がいない、という作劇上の欠点)(6/20 9:15〜21)

 あえていうなら主人公の神永なんだろうな、という。その辺をスムーズに子供が納得いくのは難しい……なんていうか、シン〜で色濃くなってる自己犠牲ってテーマは、あくまでもシンで強調されたもので、原典ではハヤタが命を失ったのはウルトラマンとの衝突事故によるし、ゼットンとの戦いでもウルトラマンは自己犠牲を意識していないので。……それはセブンの方が濃かったわけなので。だから子供が理解しづらいんだろうね。ウルトラマンやゾーフィの行動原理が若干違うから。(同 10:13)

 

 

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