ていうか、僕は情報が遅いんだが!

 2022.11.26 Saturday

アマプラでシンマンさん

amazonプライムでシンウルトラマンが公開されているらしく・・・


なんていうか、ラスト周辺が個人的にハードで悲痛な心境になってしまうし疑問もあるラストなので、あれなのですが、

でもアマプラなので何度も名場面を見たり手元で止めたりできるのは良し。

キャストには文句なし、高橋一生氏のリピアの声、最高だよね・・・・・

 

で、それに合わせて発売されそびれていたフィギュアが色々出ているので、なんとなく欲しくなってきたかな、と。

 

で、上は例によってのムービーモンスターズメガのウルトラマンなんですが、

メガのサイズだとやっぱりビルに対して(家庭内特撮感を上げるのにはこれを使っている)少しサイズが大きいので、

メガじゃない通常サイズのムビモンシリーズも買って並べた方が特撮感覚的には面白そうではあるのだ。

やっと体力落ちた時のカラーのウルトラマンも出るし。

 

いや、本式にこの容器群を特撮セットにするなら、

フチの地面に接する部分を切りおとす → スプレーで塗装 → 窓ガラス裏にプラ板などを貼る などしてもいいんだけど

(他、軽改造でビルの入り口を作るとか柱を作るとか、天井にプラ板張って平坦にするとか、色々できます)

ボクはいわゆる建築事務所の建築模型的なのが好きなので、このままでも全然OKで遊んでます。

ていうか上に色々看板を作って飾ってみたりね、

面白いと思うのでウルトラ系などのフィギュアファンには推奨する飾り方です。

 

(まぁガンプラでもいいんだが、ガンプラに対してビルが小さすぎるかもしれない。ビルの1階分が天井まで3mとすると、6階でガンダムの背丈(18m)になってしまうので、この容器の窓ガラスとは比率が合わない。つまり遠景として使うならOKですが)

(※ まぁ、ボクは人命を救うために努力したヒーローを作品の最後に自己犠牲で殺すという描写には、昔から極めて懐疑的な立場なんだよね。例えば仮面ライダーBlackSunでもそうだけど、(自分は以前個人的にライダーBlackの個人的最終回前後編ってのを書いてなんとか主人公たちの悲劇解消エンドに持って行った事があるが)……なんていうか、原作つきヒーロー作品の主人公を殺す殺さないという、重要な問題の決定権は、原作者にしか無くて、Blackの場合は石ノ森章太郎氏にしかないと思うんだよね。それ以外の人が主人公のラストの生き死にを決めるのは越権行為だと思う。だから、BlackSunはああいう南光太郎のような男の生き方を描いた作品でもあるし、テーマ的にも染みるし解るけど、でも光太郎の最後についてオリジナルからのライダーファンが不快に思って怒っても仕方ないと思うんだよね。ボクがそういう怒りにも同意する理由は要は「光太郎の生き死にを石ノ森氏以外が決めるのは越権行為だから」で(原作でも石ノ森氏は光太郎を殺していない。理由は殺すべきではないから&別に光太郎が王になっても構わないと石ノ森氏が考えていたからでしかない)。それらは前期平成ライダーでも同様だけど。「石ノ森氏はここでこのキャラを殺すのを容認するだろうか?」という思考が、平成ライダーに特に足らないのは、昔から疑問で。つまり原作者没後の後継スタッフによる私物化なわけで。

 疑問は、BlackSunでもシンウルトラでも、なんで制作側やバンダイやスタッフは主人公を殺したがるのか(もしくは不幸にしたがるのか)?って事なんだよね。つまりキャラクターに対するマウントや究極の支配行為でもあるし、商売側の生んだ都合や人類の愚かさの生んだ都合からの勝手な死の押しつけとも言えるんだが、その辺に作り手送り手の思想の歪みがないのかと言えば否定しきれないものもあるわけで。

 だからボクはここの所の主人公死エンドありきのバンダイ系リブート作品を容認はしたくないです。主人公ヒーローを生かす殺すはデリケートな問題なんだよ。視聴者にトラウマ作品を送りたいという強い意思が製作動機として強すぎるのは大問題だから。

 スタッフ側にいいたい事はあるだろうけど、前にも書いた通り、シンウルトラマンのラストは特に、ボクは子供への教育に良いと思えないので。演出にもよると思うが 4:54)

 (※ つまり、人の命を守ろうとしたり善人として生きたキャラ(スズメ怪人でも平成ライダーキャラでも)が、無惨に死ぬ描写を描き続ける事が、視聴者(の子供)が勇気を持って善であり続けて生きようとする応援になるのか?ならないのでは、意味がない、って事なんだよね。所詮善人として正しく生きられない人々の娯楽でしかない、ってオチにならざるを得ないわけだ(実際近年そんな感じ)。だからテーマに賛同するかとはまた違って、そういうトラウマ優先的な描き方には反対なわけです。 5:16)

 (※ まぁ、シンマンは結局……古典なんだよね。そう思うしか。)



 (※ キャラクターの生き死にについての決定をしたのはウルトラマンのオリジナルでは脚本の金城哲夫氏であり、金城氏がウルトラマンについて復活ないしは精神や魂の不死を描いた以上、今回のシンマンのストーリーは、ストーリー原作たる金城氏の考え方からは逸脱しているわけですよね。成田氏の考え方には近いけど。こういうウルトラマンのエンドも客観的にはありかもしれないが(ボクは成田亨美術教室生徒だけど、成田氏と考え方が全く同じではないし人間とも考え方が違うので)、ボクは金城氏はシンマンのラストは良くないと言うと思う。

 しかし、そもそも成田氏は宇宙の神仏としてウルトラマンを描いているのに、魂や精神の終わりのみをクローズアップする終わり方(リアリズムであり逆に宗教性がない)は、結局冷めたニヒリズムが勝つエンドでしか無い。それは子供向け作品として正しいのかどうか??

 そもそもウルトラマンは宇宙の神仏である、が成田氏の考え方なのに、ウルトラマン自身に自分は神ではないと言わせてしまうのは、それは矛盾してるんだよね…  11/27 12:12)← そこは話題としてスルーすべきだろう、という…

(※ なぜ金城氏がシンマンのラストが嫌になるだろうと断定できるかと言えば、金城氏は戦中戦後の沖縄体験者だからだよね。戦争とはいえ軍人でも無いのに死んで行った琉球の人々を、金城氏は大勢知っているわけで、そういう無辜の人々が死んでも魂すら消滅するかのような思想は、金城氏が持てるわけが無いですよ。ちょっと考えれば解るはずなんだが。あと、円谷英二氏の夫人ってクリスチャンだったりするので。影響は当然あるわけだよね。

 つまり戦争を知らなかったり、既に豊かだったり、安全地帯でバトル作品をエンタメに生きてきた現代人の発想なんだよ、死んで魂も無くなるとか死後の世界は無いとか無宗教のニヒリズムとかは。 11/28 4:38 また後で続き書くかも知れない)


 おもちゃ系

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