ていうか、シン仮面ライダー楽しみな無職なんだが!

 2023.03.08 Wednesday

Black sunラストに思った事。

 先日の文章で「仮面ライダーBlack Sun」の10話最終回ラストのテーマに思った事について後で書くと書いたんだけど、他にやる事も多いので簡単に書くならば、つまり、この物語のテーマって、ベルト付きカマキリ怪人になっていわばライダーを継承したヒロインが、南光太郎を苦しみから開放するんだけど、南光太郎と抱き合うヒロインの腕の中で光太郎が消え去っていくあのシーンって、ヒロインの姿は、社交ダンスのホールド なんだよね。つまり、高貴なる精神の二人の物語だ、と。




 つまり、イントロから光太郎は落魄しているけれど昔は理想を持っていたし、ヒロインは国連で演説するほどだから勉強もできるしそもそもいい所に引き取られている、光太郎や信彦の父親たちも、生体科学者とは言っても最先端だから超エリートでしょ、本来は。光太郎のウチも信彦のウチも上流なのに、差別と戦うドロ沼もしくは人間の愚かしさのドロ沼、平等のために無数の自助できない人々変わらない人々目を覚ませず多数派に与するしかない人々のために、ああならざるを得ず。


 つまりBlack Sunの物語のあのヒロインと光太郎の別れの場面は、本来的に徹底して高貴なる精神の二人……二人以外にも無数にいて二人はその代表なんだが、そういう高貴なる二人を、ああせざるを得ない、この現実社会(現実。この物語は現実をこう見ている人々が一杯まだこの日本にはいて、その視点を見せているだけ)の悲しみを描いている。どんな高潔な精神でもああならざるを得ない、この悪と暴力に満ちた世界への絶望を描いていると言っていい。


 光太郎の戦いは完全に終わるが、ヒロインの戦いはそこからはじまり、警察も政治悪に完全に飲まれた日本の現実の提示(現実です)の中で、武闘もやむなしという彼女らの組織の戦いが始まる。


 それについてオタクたちから賛否両論あるんだけど(批判派はほぼネトウヨ)、それはおかしな事で…… つまり、このBlack Sunの物語のラストテーマってのは、自由のために悪しき権力に立ち向かってこのヒロインのように戦う事になってしまった若者や子供は、世界中にまだ大勢いて(香港もそうだったし香港にもシリアにもミャンマーにもロシアにも政府批判の若者たちはいる。ウクライナには被害者の子供たちがいる)。で、日本の若者たちは自身の政府を敵に回しても彼ら同世代のともだち達の味方になれるか???(せめて彼らの想いを理解し肯定してあげられるか)っていう……それが「仮面ライダーBlack Sun」のテーマだと思う。


 もちろん送り手はそんな希望を若者にもっているかは解らず、で監督は「R禁くらいの予定が18禁にされてしまった」と言ってたけれど、実際、ラストのこのテーマがあるから、監督は18禁じゃない予定だった、と言っていたんだろうし。ぶっちゃけ、18歳になってからこの作品を見たって遅いかもしれないとボクは思うし。




 つまり、日本の子供(今は18歳未満は子供なんだそうだ。でもそんなに幼稚?)たち若者たちは、世界で自由のために戦わざるを得なくなった彼らの味方になってあげられる魂を持っているのか??っていうど直球のデッドボールを投げてきたのが、仮面ライダーBlack Sunの物語です。そしてそれを見た特撮オタク世代は当然何も応えられずにいる、、そういう事です。




 たぶん、自由のために権力や暴力や差別を否定できる勇気のある若い子にしか、解らないテーマだったんじゃないかなと思います。


 他人に守ってもらいたくてヒーロー作品見てる特撮オタクや権力側に立てるわけでもないのに権力に媚びへつらうネトウヨに、解るわけが無いんだよね……




 なんかみんなシンシン言ってるけど、Black Sunは解ってシンシン言ってるのか疑問になったので一応。




 


 (※ まぁ、そうは言っても結局前から書いた通り、平成以降の仮面ライダーだって、学歴エリートや縁故で作ってるお金で動いてるマスプロダクト作品だから。だからこれまでのテレビの仮面ライダー作品群にも当然テーマの間違いは往々にしてあったし限界はある。で、限界も間違いもある事を自覚した上で見るか自覚なしに見ているかは、決定的に違う。その自覚の無い連中がヒーロー気取りでネトウヨに染まっていく 5:00)


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