ていうか、汚い涙を流す55歳無職なんだが!

 2023.08.14 Monday

草刈正雄氏ファミリーヒストリー

  この後NHK総合で草刈正雄氏のファミリーヒストリーです。


  美の壺は割とかなり見ていたりする。(^^);




 ていうか、昭和当時のドラマやチョコレートのCMなどからずっと見てる(^▽^);






※ 良かったね良かったね良かったね良かったね良かったね良かったね(;д;)




 ……良かったねえ!!!!(;▽;) 20:58






  多分いままで草刈氏と共演した人たちみんな泣いて見たよ

※ それにしても……アメリカのおばさんが、97歳までよく生きていてくれたと思って!!もし早くなくなられてたら、番組のメールが送られても、誰一人気づかなかったわけでしょ?おばさんが今まで生きててくれたからこそ解ったわけで。 8/15 5:31




※ なんというか、草刈氏の父親がアメリカに帰っていったのは、日本の占領下時代が終わったからかもしれないなと。草刈氏が生まれたのは、1952年=昭和27年の9月なんだけど、占領下日本(オキュパイドジャパン)は同年4月に終わっているので、大体の兵士には帰国転属命令が出るだろうし(知人の横田基地のアメリカ人も辞令は怖いよって言ってた)、、、。 6:00


  そういう意味では、当時の日本でたくさんのハーフが生まれたのは、アメリカが戦争に勝って日本を占領下にしたのだから、そのままアメリカの国になると思っていた米軍兵が多かったからかも知れない、と思う。よもや日本を手放すと思ってなかったのかも知れない。 6:08


※ あと、仮に辞令が帰国転属で、それを断ったとすれば、別にやってくる辞令は、未だつづく朝鮮戦争への再度前線参加かもしれないわけで、確実に生きるためには帰国するしか無かった可能性がある。




  (先の横田基地の知り合いによると、今でもイスラム圏の戦後の国防教育などに派遣されると、近くで戦争が起きた時に近いからと前線に回されるので、そういう辞令だったら怖いと言ってた。


  実際1950年頃の横田立川周辺の米軍人たちも基地の引き込み線から朝鮮戦争に旅立っていったそうだし。支給された朝鮮戦争用の軍服に着替え、それまで着ていた軍服や軍靴を、基地内や引き込み線で働く日本人にみやげに山のように残して、手を振りながら戦地に旅立っていったそうだ(これは当時基地の引き込み線工事で働いてた某おじいさんに聞きました。) 6:30)

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