ていうか、僕は社会で仕事ができない55歳無職なんだが!

 2023.08.23 Wednesday

プロデューサーも編集者も違う。

 ボクが鬼彫刻の手伝いをしたり美術教室で2年強生徒をしていた恩師のウルトラマンデザイナー=成田亨氏の言葉で「プロデューサーは商人でありクリエイターではありません。商人の言うなりになってデザインをするデザイナーは商人の下僕です。そのようなデザイナーはクリエイターでないばかりか、デザイン屋と呼ぶべきでしょう」という感じの言葉があって。(前も書きましたが)


  で、それはプロデューサーだけじゃなく編集者も同じだと思う。(広告会社関連も同様。クリエイターでは無い)


  で、それは成田亨氏の信念であると同時に、ボクの座右の銘でもあります。


 プロデューサーも編集者も商人であって、クリエイターではない。現実であり、ボクの信念でもあります。




 ていうか、お前のデザインのどこが成田亨の弟子なんだよ(教室の中でも鬼造形手伝いの鬼工人中心スタッフだったボクとタケカサ、イイダ、サトウMとサカタ氏などは先生に弟子を名乗る事を許されていた)、と喧伝したがる悪質な連中が、何も知らない無知な業界人だの悪質同人界特撮影オタク界にもいるけれども(業界のクズども(編集者含む)は大方成田氏をはぶっていたんだから知るわけないわけだが)、、、でも80年代半ばまでのボクのオリジナルデザインから考えれば、明らかにその後現在に到るボクのオリジナルデザインは、成田氏に色々美術を習って、彫刻手伝いしたりした、そういう方向性にはなっている。


  ていうか、その辺のボクの考え方が、プロデューサーだの編集者だのに解るわけがないわけで。しかもボクはギフテッドなわけで、なおさら一切理解できるわけが無いのだ。


  (※ つまり、編集者でもプロデューサーでも、まともに理解もできないのに、勝手に値札を付けてダンピングしようとするなど、許されないに決まっている。まして故意の誤解や曲解とかマジで要らない)










 ていうか、そもそも、ボクはボクの作品表現ができるようになるために成田氏に習いに行っていたわけなので、ボクのオリジナルデザイン傾向や主義やアイデアが、ボクの方向性なのは当然だ。成田氏だってそれを歪めようとはしていない。


  で、やるからには先をやらなきゃという信念や義務感や気負いだけはある。成田先生が見れたのは2002年2月までなのだから。








  で、何も解っていない連中が「成田亨の弟子がそんな絵や作品を描いていいと思っているのか」などと言ったりもするわけだが、成田先生は、ああ見えて、いわゆる芸術作品美術作品として作られた作品(絵でも彫刻でも)については好き嫌いはあったけど、美術芸術という領域を、歴史も含めて断じて大切にする、という信念を曲げなかった人だと思う。


  つまり、美術というカテゴリーも、芸術というカテゴリーも、その歴史も、極めて大事にしていたし、尊んでいた。


  美術芸術作品に、美術芸術性があるならば(重要)、こんなものを表現してはならないなどとは一切言わない人だった。こんなやり方で表現してはならないとも一切言わない人だった。


  (成田怪獣デザインの三原則は子供に見せる上でと芸術家としての三原則で、十代以上向けならば、また別の原則だっただろう。


  というかボクの場合は「美術芸術としての表現の自由を重視しデザイン化する」(美術芸術のコードは商業作品やマスメディア上作品のコードとは全く違う)という事もずっと続けてきてるけど、それは原則というよりも、絵描きとしてのボクにしみついているので、ボクはそういうタイプの絵描きでデザイナーだとしか言いようがない。そういう奴なのだ、ボクは。)




  つまり過去の時代に美術芸術と認められていたものが、現代には美術芸術では無くなるなどいうのは、一切ありえない、という考え方。成田氏はそういう考え方だった。






  ボクもその辺は近い考え方です。美術芸術は美術芸術である。そういう事です。


  ~7:14~8:00


 Nectaful-ααα創作ログ

コメント

このブログの人気の投稿

ていうか、死んでも結婚できない56歳無職なんだが!

ていうか、訃報乞食でメシがうまい56歳無職なんだが!

ていうか、DTMは童貞森本の略なんだが!