ていうか、ギフテッドなのに何も授かっていない55歳無職なんだが!
2023.09.25 Monday
アエラドットのギフテッド関連記事のタイトルは悪質です。
アエラドットのギフテッド関連記事のタイトルは、ギフテッド周辺で起こるトラブルがギフテッドネスそのものにあるかのような視点や結果としての差別や仲間はずれやいじめを招くものであり、更に特定個人を盾にした例(しかもギフテッドケアのほとんどない過去の例である)で多くのギフテッドを卑屈にさせるようなギフテッドに欠点の自制ばかりを促すものであり、一般社会がまるで後悔しないでも良いかのように連想させる意味で極めて悪質なタイトルです。
頭が良い事は長所、色々軋轢もあるかもしれませんが長所は長所です。それを短所であるかのように錯覚させたり過ぎたるは及ばざるが如しの方向に持っていくような記事の書き方には問題があります。
ギフテッドの一人として書きますが、朝日新聞の記事は一般人視点にかたよった、極めてギフテッドに対する理解力の乏しいものだと考えます。
また、自分の記載したIQ結果(SD-15でIQ13●、SD-24ならIQ156は事実であり現実です。お茶の水まで昨年計1万円弱はらって試験を受けてきたので。)
IQ測定結果の証明書はちゃんともらっていますが、それをここでUPすると、コミケの悪質オタクなどの偽アカウントがそれをすぐ悪用するので、現状証明書画像をUPしていませんが数値自体は事実です。(試験の主催に記録が残るので)
ちなみにボクは1979年の富山県思考大会小学生の部では、全体10位以内(ひとけた台)で賞状ももらっています。
もう一つの理由は昨年お茶の水で受けたその回の試験が、他の回と比べてかなり難しいものだったらしく、実はもう少し高い可能性があるからで(他の受験者が結果に不満らしく、その回ではほとんどが証明書をSNSにUPしていない)、特定数値を証明書UPの形で見せたくないのです。
ボクがギフテッドである事に記者などが疑問を持っているなら、それ自体がギフテッドを扱う資格が無い、と断言します。昔からそんなことはあたりまえの事なので。
あと、「正論で友達を追い詰めた」という事について反省している方がいらっしゃいますし、その後他者に寄り添いたいという考え方もOKですが、今ここまで論破論破がブームである現実なわけで、そんな中で論破を反省する自体が立派だと思います。しかし、ネットの記事がそこをクローズアップして「ギフテッドは友達を追い詰める」とそこを強調しなくてはならないものなのか、それでギフテッドがどう思われてしまうのか疑問です。
ギフテッドでなくてもむやみやたらな論破はしている。
ギフテッドですらない人々でも、むやみやたらな論破はしているわけです。
(ボクは論破ブームに対しては批判派です。個人的経験から来た言葉を否定しない主義なので。ただ経験知覚の少なさから来たような言葉には忠告します。)
何にしてもアエラドットのギフテッド記事は、記事の書き方もサブタイトルも良くないです。逆にギフテッドの立場が悪くなりかねません。
※ そもそも、ギフテッドかもしれないと思っている側に正規検査用のIQテストを受けるのに脳関連や発達障害関連の確認の各種病院を受診させたりそれを勧める現状自体が、子供たちの心を極度に傷つけていると、何で解らないんですか?それを推奨しかねない動きも含めて、本当に真剣に怒りを禁じ得ない。その種の病院に通常行く人達がどういう人たちか、ギフテッドだったらかなりの低年齢でも解ってますよ。仕方がないとかそういう問題じゃ無い。
で、仮に受診したとすれば、それらの精神的ハードルや痛みもあった上でギフテッドが解って、で、学校に何ができるのか?何もしない、じゃ話にならないんですよ。学校が正しい社会が正しいじゃお話にもならないの解ります?!
例えばアエラドットの記事や記事サブタイトルっていくつから表示されるんですか。無考えが過ぎます。 23:06
※ つまり、この手のマスコミ新聞雑誌など誌面も、学校や教育や政府や自治体もみんな間違ってると思いますが、生徒や児童のIQテスト一つを受けるのに何で脳神経科や精神科に行かせなきゃならないのか行かせようとするのか?って事ですよね。子供がトラウマ持つのは間違いないのに。で、その「扱えないから検査に投げ込む」という教育現場の姿勢はギフテッドでもADHDでも発達障害でもなんでも行き先同じで、でもギフテッドは「優秀だから周囲との関係が歪んでストレスに耐えられなくなる」わけですよね。同じ所に同じように放り込むという姿勢自体は全く間違ってるわけです。でもその間違った扱い方をする事に現場もどこもかしこも疑問が無いわけですよ。IQ検査くらい、学校に先生を呼んで学校で受ければいいじゃないですか。というかいつもの学校のIQ測定で判らないのかって話ですよね。
で、そういう風に(まぁ確かにギフテッド2Eはいるけれど)、ギフテッドと発達障害を同様に問題児として扱ってしまいがちな・・・というより、同じように精神不安定児童として扱ってしまうように、この国の教育が向かいかねないのを、新聞雑誌は何とも感じていないのか??っていう記事ばかりだから、この文を書いているんですよね。平均や凡人こそ正義ってのじゃ無いんですよ。正義はそれぞれにあるわけだから。
というか、そんなのでは、発達障害の心穏やかな子達ですら正しく学校で過ごさせられないと思いますよ。
つまり発達障害もギフテッドも同じ精神科や神経科の扱いだ、とするのは違うわけでしょ? 9/26 0:50
※ 一番の疑問は「ギフテッドでない人にギフテッドの先生をやらせようとしている」所に限界や疑問をもたないのか?って、そこです。なんとしても普通人にギフテッド生徒をコントロールさせようとするのは、この社会のアキレス腱です。ギフテッドの先生はギフテッドの先輩の方が圧倒的に勤まると思う。しかし学校教育者にギフテッドの人々がなりづらいなら、ギフテッドの先輩たちと今のギフテッドの子供たちが交流できる現場があればそれでいいわけで、でも大人と子供が学校など介在せずに交流するのを、この社会が許せるのか許せないのか?って事はあるかもしれない。けれども、「生きられない」よりは圧倒的にマシかもしれない、ってのはあるわけです。
社会の差別や偏見など関係なく、ギフテッド同士が自由に大人も子供も性別も年齢差も関係なく交流できるような状況を、この歪んだ世の中が許せるのかどうか??
所詮この日本社会は、それを許せないのが限界だ、と思ってます。 同 1:01
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