ていうか、全く成長していない56歳無職なんだが!
2024/11/15 02:18
ボクはボク。他方向から見られていてもボクはボク。
というか色々自分の描いてきたものとかを子供の頃からサルベージで見つけたりして思うのは、なんだかんだで自分って変わらないなぁ、という事で。
基本的に。というか、子供の頃から目の前のものでも何でも描くのが好きだったからなぁ。物心ついた時から絵は描いていて、結局の所自分の描きたいものを描いていて実は止まってない。
で、例えばキャラやメカのデザインでも、そりゃ生まれた時から漫画アニメ特撮はあるし、子供の頃から影響も受けてたんだろうけど。例えばコンバトラーやボルテスは超合金まで買えないから、紙工作で合体するの作ったりしたしなぁ。大伴昌司氏の図鑑のカネゴンコスプレ(ザル使う奴)とか、4才頃に母さんと作ったからね、、、色塗りきれなかったが。
キャラやロボットもずっと描いてたりしたけど、幼稚園入園前から大伴氏の怪獣ウルトラ図鑑熟読しててつまり成田デザインには幼児期から触れてて、図解見まくってて、特撮ヒーロー色々と見ながら(ライダーやヒューマンやキカイダー他多数)、次にSFでどはまりしたのが変身サイボーグ玩具とそのブックレット熟読、、ってのが幼稚園の年長の頃で。で、サイボーグとかの模写もして、引き続いてミクロマンやそのイラスト、メカや乗り物の模写、、そして森藤よしひろ氏に影響受けた、みたいな感じなんだよね、、、。
多分漫画の描き方、って小6までに販売されてた本はあらかた読んでたけど、一番重要だったのは森藤氏のとびだせミクロマン内の漫画の描き方と、何かのカラー付録の石森章太郎氏の漫画の描き方、、だったんじゃないかな、、第二次アニメブームだと、森藤氏の他、松本、石森、手塚氏など模写してたし。
でもなんか小学低学年からオリジナルキャラも描いてるんだよね、、、ロボットマンに乗るタキシード少年のキャラとかわけわからないの描いてて、そこから「アポロアート」→「シガレットチョコ」みたいに続いてる。
ていうか、模写しても自分の絵の雰囲気や描線って変わらないんだよな。基本、森藤氏のミクロマンの模写してた頃から変わってないんだよ。自分。で、中学高校でオリジナル率が自分の中で凌駕して、他人と共同作業ってのができなくなるわけなんだが。
結局、ボクの絵も作品も、子供の頃から変わってない。立体造形でいえば、柏市の幼稚園の頃、ガラス瓶に焼き物粘土で作って釉薬かけたのを職人さんが焼いてくれたペン入れ、、あれの頃から変わってない。
なんていうか、そもそも、ボクの本体って、肉体的にはウチにいる自分の肉体なんだけど、本体自体は人々のいう空想や夢や天国や夢の世界そのものが、ボクが生まれる前からいる世界で、これからもそれは変わらない。つまり多人数から多面体的(球か?)に、見られ続けてきたし、結果多面体的印象しか残らない。だって神々でも天使でも何千年も前からそういう世界にいるじゃん。ボクらは空想上の存在としてそう扱われてきたし、しかし生まれても青春も盛りも見過ごされ、いずれはまた、消えた後には人々が正しく認識できない架空の存在じみたものにされてしまうのかもしれない(極めて不本意だが!)。神々や天使というのはそうしたものなのかなぁ、ボクにしても、ボクの両親にしても。
いやそもそもボクはそうした姿かもしれないよね。そういう自分を描いている。自分自身ですら比喩だと自分を多面体的にしか描けなくなりそうだからなぁ。
影響を受けてきたとかどうとかじゃないのだ。
結論としては、ボクは最初からそういう世界にいるし(両親も)、過去も、これからも、それは変わらないって事。現在は必要があって現実に体があるだけで、実の所は逝った方々ともしょっちゅう話す。生死の境などボクには最初からない。そもそも切迫流産になりかけて、一度心音聞こえなかった時期があったそうなので。
見過ごされつづけいつかはボクの司る救いもろともこの世から過ぎ去る。
ボクの存在は、召喚された未来と、現在の妥協点の、せめぎあいやきしみ、みたいなものだと思えばいい。
↑ ボクの作品の、アート・コンテクストとして記述
~ 2:49
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