ていうか、自分が有名だと思い込む56歳無職なんだが!

 2024/11/15 12:29

割とシガレットチョコって有名だった話。

というか、割とボクの「シガレットチョコ」って当時的には大阪の各高校など漫画研究部の界隈ではほぼ知られてる漫画なんだよね。


 


 というのは、以前書いた通り、桃山学院高校漫画研究部って大阪府下の高校で始めて漫画研究会が部になった漫研で(全国でもほぼど初期)、後の大阪の漫画研究部、漫画研究会による漫画研究部会(特に部の交流会というか互助会)でもメインポジションになるんだけど、当時の漫研同士の交流で互いの漫研の部誌をお互いに買いあったりする、ってのがあって。で、84年の文化祭当日に出した部誌のMICは開催日二日間の発行数は100、100、50で250冊だったんだが、ボクの参加した最後のMIC20が当日販売50部で(21は1年生部員のみの本になる)、その時に通信販売受注に対応したり、漫研の互助会の各漫研購入分で、合計が当日の倍以上売られたわけなので。(コピー製本にしたのを逆手にとって通販にした)


 だから当時の大阪の主要な漫画研究部会の各校漫研部員たちなどは、たぶん大体、ボクの「シガレットチョコ」を読んだ事あるんだよね、、、。


 


 


 ていうか大学生とかアニメ漫画関係の人も買ってたらしいんだが、ボクは大阪から東京に転校してるし、それでチョコが大阪漫研界隈で有名になってしまった事を聞いたのは、だから11月後半から冬頃の事だったわけ。とはいえ反応があっても大阪の桃高漫研どまりだったけど。


 部長副部長会計たちがんばったなぁ、、まぁ売れなきゃ後の活動きついからね、、(特に後輩が)


 


 ・・・当時はまだ漫画家志望者の高校生や大学生は漫研で自己研鑽しながら漫画描いてたような時代だから。特にオリジナル系はそうだよね。同人から漫画家になる例は、美少女系はともかく普通の漫画は漫研で自己研鑽する時代だったんだよ。、、で、コミケとか一般に有名になるのは89年以降だから(ていうかコミケに行くのって関西からは遠いしそもそもコミケに行くのは漫研経験者では?)。そもそも関西の高校生がコミケにはなかなか行けないでしょ?


 


 当時コミケは1日のみ開催でサークル数もいまみたいに多くなかったし、だから大阪など関西の漫画研究部は同世代の漫画を見るのに互助会つながりの漫研部誌会誌で知るのが普通だった時代なんだよね。


 


 したがって、ボクのシガレットチョコは当時の大阪の漫研界隈や漫画家志望の高校生には割とかなり知られてた漫画だったわけ。(つまり大阪のその頃の高校漫研出身者でチョコを知らないというのは、「ん?」となる、って事。)


 ~ 12:45


 


 


※ MIC20の通信販売対応については、、学校の漫研など文化部部活が作品集の通信販売対応するのはいかがなものか?って意見も各学校側にあるからあんまり書く気なかったけど、、、今なら書ける事実表記って事で。今はそういうの割と許されてるみたいだし。(いや、部誌でお金儲かってると、学校から降りる部への給付金が値切られたりするでしょ?だからあまり書きたくなかった。) 13:06


 


 


※ 今は桃山中高の文化祭は一般公開日は金券支払い製になっていて現金直接支払いは無いらしい。漫研もなくなってるか一般公開はしないかって感じ。


 ていうか、業界漫画家志望者の自己研鑽の下支えは、中高大の漫画研究部や会から同人イベントに移っていて、だから上のような事を一から説明してるわけだが、、、


 時代変わったよねー、、、


 それにしても首都圏業界やコミケ系は、当時から西日本のアマチュア状況には無知なんだよね。今もだろうけど。逆にあえて隠蔽してきたってのもあったわけだし。 14:01~04


 


 ちなみに今でいう形式としての「同人誌」を大阪の多くの高校生徒たち(全国生徒にも)に広めたのも、大阪の桃山学院高校である。


 前にも書いた大阪の桃山学院高校漫研OBと現役部員協力のタバコ害啓発本って、桃高内他大阪府下他生徒たちに全国配布で広まったんだけど、形式としてまるまる当時からの「オフセット同人誌」なんだよね。


 漫画同人誌とは?→こういうの、という。


 私立高校が公式出版してた漫画同人誌と考えていい。(今でもネットで読めます)


 つまり一般の高校生徒たちが手にする最初のオフセット同人誌製本本、が、桃山学院高校の「ByeBye Smoking」だ、というのは、当時からあるあるだったという事です。(というか大阪では当たり前かも)


 


 、、、まぁ色んな意味で知らない無知な人々多すぎ問題なんだよな。時代の移り変わり問題(笑) 14:14


 


 


 ※ つまり、あいつらがボク(の漫画)を知らない? 


 大嘘なんだよ。最初から。 15:12

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※ 70年代の漫研先輩たちの描いた「ByeBye Smoking」については、ボクらの学年が20クラスで900人くらいだったんだが(当時桃高はマンモス高)、年間2万か3万部くらい増刷して他高に配布してると先生から聞いた。つまり中とって他高校生徒に2万4千部くらい配るとすると、3学年で20クラスくらいの高校に、26校くらい配ってた事になるでしょ?それが毎年、3年ループなら、大体1000人生徒のいる学校に70~80校配ってたくらいだと考えれば想像しやすいと思います。生徒数600人の学校に配るなら3年で120校くらいかな。当然桃高の漫研についてはそれなり認知されてたわけ。 17:36

 ていうか、「ByeBye Smoking」の初版刊行年は1977年7月なので桃高漫研が部になったのも1977年から1978年前後なんだけど、Google検索では悪意か何かで出版期日が重版年度の1982年にされてしまってるんだよね。悪質な情報操作っぽい。


 上に書いた「オフセット印刷形式のいまでいうコミック同人誌印刷の走り」を各高校に配るってのは、つまりは70年代だから、ほとんどのコミケの同人誌より早いんだよね(「1980年時点で漫研が部の高校が桃山だけだから入学した」って81年入学の先輩がいた)。だから、それを隠蔽するために初版年度が1977年から1982年に悪質すり替えされてるんだと思います。まぁ単にAIがやらかしたんなら、AIが徹底してクズなんだよね、、、 18:38~50

※ と、色々書いたけど、桃高の漫研知人たちにも長所は多くとも欠点も無くはないし、ボクとの交流も文化祭後はたまの文通しかなかったり、それもしなくなってかなり経つわけで(それなり理由はあった)。ボクの転校後の学校側との軋轢も、部員側問題もあると同時に、学校側無理解もあったわけね、、、。 2:23

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