ていうか、レガシーと言いたいだけの57歳無職なんだが!

 2024/12/28 09:49

レガシーはレガシーとしてある。

 なんていうか、今年秋からは自分のいた大阪桃山学院高等学校の漫画研究部(70年代に大阪の高校で初めて「部」認定になった当時の有名漫研。全国でもほぼど初期。このブログ内検索で「桃高 漫研」で検索を)や、漫研当時、大阪内での高校同士の漫研互助会の事など色々思い出していた。


 70年代からの桃高OBのタバコ害啓発冊子「バイバイスモーキング」は日本の高校一般生徒たちに、最初にオフセット漫画同人印刷形式の冊子を当の高校が大量配給したケースといえる。漫画同人誌の歴史からはコミケ派閥などにより消されているが(あれだけ全国的に有名な冊子でも米沢漫画図書館に蔵書が無いのは意図的除外と見るのが妥当だ)。


 


 ボクはボクの年度ではエースかジョーカー的な存在で転校可能性で部長などできなかったので逆に原稿描けたわけだが、、そんな漫研も今はない。(というかあとで「Nectaful-ααα」の方にも何かUPするかもしれないが)


 


 で、コミック作家が育つ土壌も昔は学校漫研だったけど、今は同人イベントになってしまっているわけで、時代は変わってしまったんだよなぁ、と。


 桃高の漫研も色々問題はあり、、まぁキリスト教学校の漫研がリーダーシップ取るのに敵愾心持つオタクたちも大阪には多かったし、なかなか部の先輩にも問題ある人いたんで先生に大目玉食らったりもあったなー、とか。まぁでもボクと同年度で学校の先生まだ続けてる男子もいるけど、、など色々思い出していた。「2.5次元の憂鬱」は、やっぱり考えさせる部分あったよな。実際桃高漫研はボクの転校後、部長らが映画撮影に走って映研とやる事変わらなくなったり、美大的なパフォーマンスに走ったりした。身体表現も大事にしたい、というのは当時の僕らの漫研にもあったわけで。


 


 そんな懐かしい漫研も最近の桃高には既にない。(最近なくなったらしいので)


 でも、秋の桃山学院中学高校の文化祭のネットパンフレットを見ていて、あぁ桃高漫研のレガシーって、全体として、まだあるよな、と思ったんだよね。


 漫研がなくなっても、別の部活と合併されたり引き継がれたり色々あるし、部員が別部活に移ったり、過去の漫研部誌会誌は図書室(高校では最大規模蔵書数だ)にもあるわけだが、、そもそも桃高漫研ってキリスト教学校としての桃高あってこそだから。桃高漫研にレガシーがあるとするなら、今の桃山学院の生徒達の生徒活動がなんていうか活躍して色々斬新なチャレンジを続けていることが、ちゃんとレガシーになっているんだよな、と。


 いや、生徒たちは全然そう思ってないだろうけど。極論、桃高漫研が消えても、全体としての生徒の活躍に還元されていっているんだな、と。


 というか、変わんないな(^▽^)、と思った。


 


 レガシーって、器がなくなってしまうと、例えばボクのいた桃高漫研や成田亨美術教室もなんだが、なくなってしまえば何もないのかというと、それは違う。廃校になった学校がこの世から跡形もなくなればレガシーは何もないのか?というとそれは違っていて、レガシーはちゃんとあるんだよね。心の中とかだけじゃなく、、、存在が消えてもドライブやグルーヴとして残る、みたいな。


 存在していた以上、記録にも残るし、相互影響のピースとして消えない。


 


 ボクも存在し続けている。


 


 


 (※というか、実は自分、漫研じゃないクラス生徒仲間と、ロボットデザインなど競争みたいに描いて遊んでたりしてたので、実はそっちでメカデザイン同好会のリーダー的だったかもしれないんだよね。漫研はロボ描ける仲間が少なかったので。でも特に職員室に認知されようとかは思っていなくて、自由に仲間で遊んでたみたいな。そういうのも思い返すと、やっぱりあぁイイ学校って大事だな、と思うよね。 10:21)


 というか、チャレンジ精神とともに向上心やオリジナリティーを意識的に追求していないと自分自身がダメになるよね。 11:26


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