ていうか、ピアノ歴は中卒の57歳無職なんだが!
2025/01/13 14:05
ピアノや楽器でもフィギュアでもだけど
というか、自分はピアノを中学3年まで習っていたし、習熟度でいうともうすぐ中級終わりで上級以降(上級だと音大レベルくらい)って所まではやったけど、それでも進度は遅めだったんだよね。前も書いたかもしれないけど、ボクの場合は72年頃からオルガンを先にやっていて(ピアノは高いのでウチは最初にオルガンをやっていた)、それが終わってからピアノをはじめたんだけど、オルガンのカリキュラム速度って決まっていて、ぷらいまりーでいうと1~4、2年で卒業、それが終わってからピアノかエレクトーンかでピアノに入った。
でもピアノに入ってからかなり経って大きい会館での発表会も終わってしばらく経った頃先生が変わった。それがめちゃくちゃ厳しいヒステリーな女の先生で、指がたまご型になっていないからとボクの場合バイエル上巻44番くらいまで行っていたのをいきなり1番まで戻すわけ。で、再度弾かせて、なんとか21番から、再履修、つまり一週で1曲だから、半年分近くカリキュラムも月謝も逆行させたんだよね。
で、それがボクだけかと思ったら、同じ北浦和のヤマハ音楽教室で他に習ってた同学年女子全員もみんな逆行させられたらしくて。ボクは小3前期の学級委員長だったんだが、副委員長やってたS鳥さん(地元の上流家庭の子。メイドさんのいる家庭というか、親戚に後の某市長氏がいたのでは)が習ってたピアノの先生の所に先生を変えてった(ボクに対してもこっちに来た方がいいとS鳥さんに言われたが「ボクは男だし」と)。今にして思えばふるいなのか、月謝を取り続けろという命令があったのか解らないんだけど。
もう手をぶち続ける先生でね、、手が小さいから指を伸ばさないとオクターブ届かないんだけど、指が伸びるとぴしゃっと打つわけさ。で「ジャズピアニストになるんじゃないでしょう!!」と叫ぶ。いやボクはジャズ好きなんだよとか。ホロヴィッツのピアノとかも指伸びてるのになぁ、と色々思ってた。で、その無理矢理の北浦和ヤマハ教室騒動(ほぼみんなS鳥さんのピアノ先生に鞍替え。同学年で残ったのはボク一人)も込みで、ボクはただ進度だけピアノが更に遅れたわけで(ていうかそもそもpやppが得意な非力がピアノをやってるわけだが、ピアノの表現は他人以上に気にする子だったから、半年分後退させられようが、弾くピアノ曲の音が変わるわけじゃ無い)。77年7月に転校するまで。その頃やっと42番に戻るくらいだったか。(ちなみにもう一度再確認だが一応ボクはギフテッドである(現在でもSD-24でIQ156))
で、ボクは進度が遅れただけで、富山、大阪と転校しながらピアノも続けるんだけど。やっぱりオルガン抜きで最初からピアノやってる他の子たちは進度が早いし、ボクはヒステリー女先生に進度半年遅らされてるからよりハンデがあるわけで、そうなると普段の授業には影響なくても、発表会ではもっと進度の早い子にいわゆる名作曲家のイイ曲があてがわれて、自分なんかは自分が弾きたいような望みの曲は弾かせてもらえなくなる。フィギュアスケートで進度のある子が名曲滑れてそうでないと普通の曲をヒエラルキーであてがわれるような、そういう事になってくんだよね。で、ボクの場合は中学2年当時のダブルトラウマ事案につながってくんだが。
で、フィギュアスケートの話だけど、ほとんどの子が5歳で始めてるスケートを、11歳で始めて追い付けるという事は、とんでもない努力や才能やスケート愛があればあり得るとしても、そもそも才能有無はやってみなくちゃ解らないし、良いコーチに巡り会えるかはほんと運だし、というか追い付けるという事は、実は「金銭面など境遇面で諦める子が増える」というだけで(ボクのピアノもそうだった)、そもそも追い付けるなんてことがあるのか?(笑)って事なんだよね。
身体的限界での脱落もあるわけだし。「おむすび」の野球断念した彼氏もだけど。
というか長年やってれば長年の感性的蓄積や鋭敏さの蓄積はあるわけで。
例えばフィギュアスケートを11歳からはじめても前から滑れてる子達を追い付き追い越せるカリキュラムなんてものがあるならば、それを5歳からフィギュアスケートをやってる子達がやるなら、より先に進んじゃうに決まってるんだよ。それ考えてんのかなあの作品(笑)
あと、こないだのNHKの「3ヶ月でマスターするピアノ」を見ていても思ったけど、あれで教えてる事ってかなりがヤマハの基礎とやっぱりかぶるよね。新しさもあるけど昔からの基礎も多い。(~14:30 つづく 今大学ラグビー良いところなんで)
◎ というか、浦和って一見ちゃんとした習い事やってる所(ヤマハ音楽教室もだが)のボリ方が半端なくて、例えば北浦和のスイミングスクールも通ってたんだけど、自分、5mのけのびが11ヶ月もクリアできなかったんだよね、、、異常でしょ?聞くと「沈んでる」「手足が伸びてない」というだけで指導も助言も全く無くて。友達は進級してるのに。で学校では水慣れしてるから小3でもボクは13mは泳げるわけだよね。学校では泳げてるのにスクールでは5mをクリアできない。でいくらなんでもこれはおかしいと見かねた父母が理由を聞いてもコーチ?は上記の説明を繰り返すばかりで。でもいくらなんでも酷いから、と11級がクリアになったら、次は10級のビート板ばた足とか、面かぶりクロールとか普通のクロールとかトントンクリアして、20mか25m挑戦、って所で転校になった(記憶おぼろげ。平泳ぎ挑戦くらい?)。転校後の先生(男性担任でスポーツ得意だった)の助言でクリアできなかった理由が解ったんだけどね。ほんと北浦和のスイミングスクールはどうしようもないスイミングスクールだったんだよ。
つまり、若い頃のボクは本当にやせてたんだが、小学3年当時はほんっとにガリガリで細い棒っきれみたいな体で、筋力はそこそこあるんだけど体脂肪率があまりに足らなかった。で(成田先生にも習ったんだが)、筋肉って力を入れると体積が縮むから、つまりただでさえ痩せてるのに更に身体の比重が上がって(つまりボディービルダーの身体が沈むのと同じで)沈んでしまう、それが5mけのびをクリアできない理由だったわけ。
つまり面かぶりクロールなどなら進むのはつまり初速が継続するから浮力が生じて浮くから、って事らしい。
つまり、北浦和のスイミングスクールがまずボクに言うべきだった最適指導は「もっと食べてもう少し(通常比重になるように)太りなさい」「浮く身体になってから水泳に通った方がいい」が最適解だったはずなんだが、先生側にそういう基礎知識すらないもんだから、当時浮くのが無理な体の生徒(ボク)に、何度も無理なけのびを挑戦させて1年間11級で月々ピアノの月謝より高いお金を巻き上げ続けていたわけなんだよね。
通算で10万円近いよなー、、北浦和の習い事はヤマハにしても水泳にしても、教師が酷いのにボリ方が酷かったのを覚えている。おけいこ事ビジネスのブラックあるあるの典型なんだよね。
まぁ水には慣れたから、割りと泳げるで高校卒業まで通せたけど。
(、、つまり痩せてるが故に浮かないでけのびをクリアできない子供たちに「食べる」を指導していないスイミングスクールは、全部潰してしまった方がいいかもね。指導の基本の基本が出来てないのに金巻き上げてるだけだから。)
というか、子供の習い事であたった教師やコーチが酷いかマシかは本当に運なわけで。それでもそういう一流かどうかも解らない先生達に習った事で使える事が増えるかどうかは、本当に習う生徒側の裁量でしかないんだよね。先生やコーチが教えているのかと言えば、全く違う。全然違う。
まぁ水泳はともかくとして、、、、ピアノでもエレクトーンでもバイオリンでもギターでもバレエやフィギュアスケートでも、美術でもなんでも、表現系の習い事や修練はみんなそうなんだが、結局表現したいものや感性と、それに必要な技術を自分の中身に蓄積していくしかない。それは学習かって言えば、実は違っていて、経験なんだよね。経験則でこの表現が正解か違うかをトライ&エラーで積み重ねてるだけで。
つまり「本質的には、課題が必要なだけで、先生って必要あるのか?」って、教師は自問自答すべきなんだよね。
教師が教えたから生徒が伸びるわけじゃない、のでは?って、常に教師やコーチ側は思っていなくちゃならないって事。 18:05~48 つづく
というかあちこち転校してピアノ習ってて思ったのは、やっぱり自由に才能のある子の才能を伸ばす形でピアノ学ばせてる高岡の先生は良かったな(未婚だったけど転校前に結婚決まったり)、何としてでもヤマハ教室って地元に入り込んで意味のない旧態教育と権威で無意味にマウント取ろうとするのな(しかしろくに教えない)、とか色々思ったけど、おそらくどの習い事も同じだし。
例えばkadokawaドワンゴでも権威狙いやマウント狙いはおんなじなんだよね。まっったく意味ないんだが(笑)。なんというか、エンタメ視点やビジネス視点に全振りの価値観でヒエラルキーを決めていく、根拠のない権威主義だよね。
でも全うな美大芸大なら学生個々オリジナルの狙った表現が出来てるかどうかが全てに優先する、その上でのヒエラルキーに売れる売れないはまっったく関係ないわけだからね。で、同じ基準をフィギュアスケートに転用するならメダル取れる取れないになる。でもメダルを取れるスケートが芸術性でも優れてるとは限らないでしょ?今は芸術点じゃなくてプログラムコンポーネントだから。
でも本来プロフィギュアスケートにみんなが期待してるのは、昔でいう「芸術点」なんだよな、、、。
(19:13 もう少し続きます)
つまり、エンタメやビジネスの観点や、順位を無理くりつけるスポーツの観点と、表現内容の観点は違うし、例えば今、ピアノは肩腱板部分断裂になって以来左腕がダメな自分でも、内面的テーマは今なりのものがあるわけで、つまり、内面的テーマは現在可能な技量や習熟度に実は関係ない、って絶対的現実があるわけね。
例えばシニア引退してプロフィギュアスケーターになってからじゃなきゃ、 自らの芸術性を発揮できないのが、現在のフィギュアスケーターの現実ではある。
プロフィギュアスケートはビジネスやエンタメとかみあってないとあり得ないという意見もあるかもしれないが、とりあえず言えるのは、大概の表現手段において、内面的テーマと、現在の技量とは関係ないんだよね。テーマを出来る事でする、それで構わないわけだから。
向上心は否定しないが、そこを否定してあくまで順位を付けるなら、実はアーティストは誰も幸せになれないんだよ。 それは愚行。 20:02
※ つまり、現代のプロスケーターにとって大事なのは、昔の芸術点の時代のフィギュアスケート(ぶっちゃけそのビデオ)なんだろうなあ、とも思っていたりするし、最初からメダルじゃなくてそっちのタームを選ぶ選手がいたって全然一向に構わない時代なんだよね。 1/14 1:30
個人的心情
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