ていうか、早朝から朝ドラに文句言う57歳無職童貞なんだが!
2025/05/27 04:20
「あんぱん」はやっぱり駄目だと思う。
朝ドラ「あんぱん」はやっぱり駄目だと思うのは、つまり、なんだかんだで、愛国主義とか倹約も伴う国家主義、総動員主義や軍国教育でもだけど、戦前の美徳を懐かしいと主張するような人々に寄りそってしまってるんだよね。
今の時代は、それらは徹底批判されなきゃならないんだけど、逆に寄り添ってなあなあで半肯定みたいになってしまっているわけで、主役すらそうなのかもしれない、というような印象をこないだの土曜スタジオパークで感じたので、、、
結局なんというか、「NHKなので」って作品にしかなっていない。
で、なんというか、その原因は、今の若い俳優陣にとって「アンパンマン」が既にアニメ化していて押しも押されもしない国民的(←※)アニメになっている時代しか知らないからだと思う。
ボクが初めて「あんぱんまん」の絵入り童話というか、童話本を読んだのは小学3年位の頃だったかと思うんだけど。それより少し前の時代って、変身ヒーローものは割と戦時思想に近いヒーローものが多かったんだよね。
軍隊自衛隊的な防衛隊視点過多などもだけど、散華の美学的な特攻隊や玉砕肯定みたいな、つまり戦時中の武家や軍人やらが喜びそうな内容の正義を、子供たちに再度吹聴するような作品群(主人公やその周囲が悪と戦ったあげく命を落とすが、悪を滅ぼす事により、過程の死者を肯定するようなドラマ仕立てなど)はやっぱり極めて多かった。
しかし、つまり明らかにあんぱんまんは、それらに対する詩情的なアンチテーゼとして、アイロニーで異質だった。で、同時に「詩とメルヘン」には大人向けのあんぱんまん物語も連載されるようになっていくわけだが、、(70年代中半頃)
つまりあんぱんまんは最初から子供と大人への双方に物語のはけ口を持っていたわけなんだけど、つまりはそれは決意的な戦いだった、ってことだと思う。
しかし、そこに踏み込む上で、今回の作品は一番大事な「政治批判」をなおざりにしてしまっている。物語的に政治批判要素は明確には無い。つまり「体制批判」やウヨ批判をやりたくない気配がもう、ドラマからびんびん来るんだよね。すごく柔弱というかなあなあさを感じる。
「仕方がなかったんだ」と言いわけする人々を、甘えさせるドラマになってしまっている。これは脚本の責任が極めて重大だと思っている。
で、その原因は結局「アンパンマン」が「国民的」アニメになっているから、このドラマが企画されて作られたからなんだろうな、と思わざるを得なくなってきてるんだよね。国民的だから作られている、しかし、アンパンマンが国民的アニメになった理由は、まさにその起点ストーリーたる「自分の顔を食べさせる」から徐々に距離を置いたからだし、そもそもそこだけをクローズアップするのは、良くない。アンパンマンがウケたのは、結局彼にたくさんの仲間(しょくぱん、カレーにはじまり、今や数知れない)ができたから、なのだから。
つまりテーマ的起点は起点として、仲間ができたからアンパンマンは国民的になった。その流れの認識をこのドラマは間違ってる可能性があると感じている。
アンパンマンが国民的だから作られているドラマが、国民のウヨ的欠点をフル攻撃しなくてはならないジレンマに気付き、そのジレンマから逃げているような中途半端さ、、なあなあで柔和な姿勢、、に、ボクは極めていらだちを覚えてる、というのが正しい。朝の元気どころじゃないんだよ、イライラしちゃって。
、、いや、ほんと、折り返し点から大転回しないと、このドラマってウヨ懐古趣味を焚き付ける効果の方が強くなっちゃうよ、、、「そんな事言ったって所詮は力(権力武力圧力等々)だ」と思っている人々がこの世のほとんどなんだから。
~4:56
国民的だから作るドラマは、右に甘くなっちゃうんだよね、、 5:07
※ 義父のひろし先生がなくなったけど、ひろし先生については全然いらついてない。実話尊重されてるそうなので、そこはちゃんと染みてる。12:08
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